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御子神十三柱の覚書 その8

守達神(後編)

式内社の問題はとりあえず置き、というか、その比定の参考とする上でも、いつものように三代実録における神階授与記事に当たらなければならない。
三代実録において、式内・守田神社の祭神と想定されるのは、基本的に「守達神」である。これはまあ、定説といっていいだろう。
ところが、ここで大きな障害にぶち当たる。
松沢義章も参照した『本朝六国史』に、「守達神」は登場しないのである。
その代わり、守宅神、安達神、宇達神という神が登場する。

守宅は「守」の字が共通し、音にも近いものがある。
安達と宇達は「達」が共通し、「安」と「宇」はいかにも「守」と誤読もしくは誤写しやすそうな字である。
一般的に、これらは同神だと考えられることが多い。

いっぽうで、この便利なサイト
http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/(有坂理紗子氏ご教示)
で検索を試みると、まったく違った結果になる。ここがどういった原典を使っているのかわからないが、非常に正統的なものであることは間違いないと思う。国史大系の類に当たって近々確認したいと思うが、ここに守宅神は登場せず、代わりに「寶宅神」という神になっている。
「寶」は「宝」、普通に読めば「ほうたくのかみ」だが、これを「ほたかのかみ」と解し、穂高神社の神階授与記事だとする主張がある。
そしてここでは安達神の代わりに宇達神、最後の宇達神のところでは、そのものズバリ、というか……ようやく、守達神が出てくるのである。

さらに……もはや笑うしかないのだが、長野市内には「宇達神社」も「安達神社」も現存しているのであった。

なにがなにやら……。

しかしながら、神階授与記事をきちんと見直せば、ある程度のことはわかってくる。

■貞観元年(859) 守宅神(寶宅神):従五位下→従五位上
■貞観5年(864) 安達神(宇達神):従五位下→従五位上
■貞観7年(866) 宇達神(守達神):従五位上→従四位下

これを見ただけではっきりするのは、「守宅神≠安達神」だということだ。同じ神が「従五位下→従五位上」という同様の神階上昇を二度繰り返すことはないからである。
同様の見方から、「安達神=宇達神」の可能性は高いように思われる。

三代実録のバージョン違いについて検討すると、まず、守宅神が正しいのか寶宅神が正しいのか……これについては、とりあえず保留しておくしかない。守宅神については今までも御子神十三柱テーマの派生で何度か扱っているが、この項でも後に多少触れることになる。その際に、守宅神/寶宅神問題についても一応の検討は加えたいと思う。

さておき、すべての混乱を全体として俯瞰してみると、

「安達神=宇達神=守達神」≠「守宅神(もしくは、寶宅神)」

と考えるのがもっとも妥当なように思われる。

次に、少々胡散臭くはあるのだが(失礼だなあ)、安達神社と宇達神社についても当然検討しておく必要があるだろう。

安達神社は、長野市平林、守田廼神社の北東700~800メートルばかりの至近距離に鎮座している。
祭神は、五十猛命、建御名方命、誉田別命。
……やっぱり三柱である。
現状、決定的に情報が不足しているので確かなことがなにもわからないのだが、平林地区は、宇達神社のある宇木地区とともに室町期諏訪上社の頭役を務めた記録があること、そしてなにより一本梶の神紋が見られることから、諏訪社が本来であることは間違いなさそうだ。といっても、長野市内には非常に多くの諏訪社が当たり前のように鎮座しているので、だからどうだという話にはまったくならない。
ことさらに「安達神」を祀っていない点からみて、強引に国史見在社を主張した痕跡とも思われないのだが……とにかく、社名の根拠とされる伝承なり記録なりをひとつも掴めていないので、なんともいえない。

宇達神社は、式内・美和神社の北方数百メートル、下宇木に鎮座する。地図を眺めてみると、北から宇達神社、安達神社、守田廼神社と、善光寺を取り囲むような位置取りにも見える。
祭神は、宇達神、健御名方神、八坂斗売神(これまた三柱……)。
社伝によると、当地開拓の産土神「泥土立神(にとのたち・かみ)」の名が変化して「宇逵神(うき・の・かみ)」と呼ばれるようになったとのこと。
これは……全然意味が通っていない。
泥土立神という神は聞いたこともないが、連想されるのは神世七代の「泥土煮命(うひじに・の・みこと)」である。よもやこの神のことではあるまいが、「うとたつ・の・かみ」とでも読めば、「宇達神(うたつ・の・かみ)」に転訛したという話にも納得がいくのだが……。
また、「宇逵神」の話があった通り、「宇逵神社(うき・じんじゃ)」の別名があり、鎮座地の字名は「宇木(うき)」。
これは、もう……後付けで国史見在の神名に合わせたという疑いが非常に濃い。
しかしながら、諏訪神夫妻を従えて聞き慣れない名の産土神を主祭神とする形は決してありふれたものではなく、相応の古さと根拠を感じさせる。

いまだにその実体がつかめていないのだが、「芋井郷内二十一社」という概念があるらしく、その二十一社ではいずれも諏訪御子神を祀っているという伝もある(以前紹介した社子神社の社伝)。ゆえに、宇達神社の謎の祭神も、ある時代において諏訪御子神とされていたのではないか、という気配を濃厚に漂わせている。
これまでに見てきた御子神の中から似た音の神を探すと……守達神を別にすれば、せいぜい多都若比売くらいだろうか。八杵命の御子である八立神は、少なくとも現時点において「はちりゅう」と読まれている(諏訪市の八立神社については、原直正氏が本地垂迹を背景とした画期的な論考を『決定版・諏訪大社』に発表している)。あとは、式外の神に名立神というのがおり、松代と飯山にある「名立神社(なたてじんじゃ)」では、いずれも諏訪神を祀っている。しかし、どちらの宮でも名立神という神名は伝えておらず、また、諏訪御子神の系譜にもこの神は見られない。ただ、諏訪信仰の中で、「タツ」の音を持つ神というのが、なんらかの関連性において複数存在しているようにも思える。
しかしながら、ここは正体不明の無名神を引き合いに出すまでもなく、「泥土立神」は守達神の別名、と素直にみたほうがすんなり理解できそうだ。

それよりも気になるのは、生島足島神社の旧地といわれる「泥宮」や、上十三所筆頭の所政社など、諏訪信仰の古層における大地信仰との関わりが感じられる点なのだが……当面、これ以上掘り下げる材料がない。
ただ、「守田神社」は、その名の通り、田を守る神、すなわち農耕神とみる見解も根強いわけだが、泥の神もまた田に通じるわけで、これらの宮のすべてが同じ神の信仰で貫かれているというシンプルな見方もそう突飛なものではあるまい。
というわけで、安達神社、宇達神社とも、社名が国史におもねった後付けであったとしても、守達神に相当する神がかつて祀られていた宮であると想像する分には、さほど無理はないように思う。どれが本家にせよ、式内社たるもの、近在にいくつかの分社があってもいっこうに構わないのだから。

ところで、信濃國の神々とその国史上の現れについては、信濃の怪人的伝説的郷土史家である栗岩英治がかなり熱心に検証している。特に卓見というべきは、「嘉祥4年に全国のあらゆる神に無条件で従六位上の階位を授けているにも関わらず、初登場時に無位の神がいる。ということは、その神の社は嘉祥4年以後の創立である」とする見解である。この説に従えば、いくつかの神社について、創立年を極めて短い期間に特定できてしまうのだ。また、平安初期、全国的に神社創建ブームがあったことも想像される。
これは画期的な視点である。と同時に、初登場時、すでに従六位より上の階位をもって現れる神がおり、ということは、すなわち神階授与の記事が抜け落ちている(おそらくは、編集方針の違う三代実録以前の国史から)ことも多々あるのではないか、という指摘も極めて重要であろう。
たとえば……諏訪御子神研究者の視点でいわせてもらえれば……伊豆早雄命の宮より守達神の宮のほうが古い、と断言できてしまうのである。
無論、嘉祥4年の時点で中央の登録から洩れていた神社もあった、という可能性は踏まえておかねばならないが。

栗岩はまた、守達神以下、これら神名の混乱した神々について、『信濃地名考』の見解を踏まえ、「安達神(あがたのかみ)」と解するべきだと主張している。
信濃で「アガタ」といえば、未解明な部分を多く残す非常に重要なキーワードである。また、神名帳信濃國佐久郡の項には英多神社(エタ・ノ・カミ・ノ・ヤシロ)の名がみえ、現存する英多神社は「あがた・じんじゃ」と称している。
古代~中古にかけ、北信から東信には明らかに地域的な連続性があり、いずれも信濃国造一族、もしくは金刺・他田一族の拠点とされた時期があったものと考えられている。ゆえに、もとは水内にあったアガタ神の宮が、施政者の拠点の移動に伴って延喜の時代までに佐久へと移ったのではないか、とする栗岩の説も的外れとはいえないだろう。
そもそも「安達」を「あがた」と読めるのかどうか、ちょっと疑わしくも思えるのだが……漢字の読み方について戦前の学者に文句をつけるというのも分不相応な話である。

もし水内にアガタの音を持つ神がいて、しかも諏訪信仰と縁があるのだとしたら、まず、御子神十三柱の大県神(おおあがたのかみ)との関連を疑う必要がある。そして、英多神社の論社のひとつである佐久の新海三社神社では、その主祭神・興波岐命の異称を大県神、もしくは八縣宿禰(やあがた・すくね)と伝えている(ちなみに、守田神社の系図に見る興波岐命は、「興津波岐命」となっている)。新海三社神社は古墳祭祀とムロ山祭祀、そして水源祭祀を起源とする複合的な形式を明確に残す堂々たる古社であり、佐久一ノ宮とされ、しかも驚くほどの規模と格式を誇っている。にも関わらず、延喜式に直接その名はない。そして三代実録には八縣宿禰の名がある(この神を祀る神社はいくつかあるが、他の英多神社の論社では祀っていない)。
佐久における英多神社の論者争いはいまだに解決を見ていないような状況なのだが(というか、いまどき誰も続けてはいない)、非常にわかりやすくまとまった考察がネット上にあり、私はこの見解に同意である。
(http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/sinka.html)
ゆえに、アガタの神はアガタの神、守達神は守達神で別個に存在していたと私は考えたい。が、栗岩説を完全に排除することもせず、起源としては「守達神=興波岐命」であったという可能性も、いちおう頭の片隅には置いておきたいと思う。「興波岐命編」を書くときのために……って、「興波岐命編」で書くべきことをけっこう書いてしまったが……。

さて、守達神と諏訪信仰との深い関係を示す状況証拠については、七二会守田神社のことを調べると次々に現れてくる。
続きは、七二会守田神社を訪問しながら、ということにしよう。


同日:御指摘いただいた明らかな誤りを削除し、周辺を調整。
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信濃地名考

『信濃地名考』も近代デジタルライブラリーに明治に出版されたものがありますが、「守達は安達の間違いじゃね?」という部分が、なかなか確認できないんですよね。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765083
そもそも、ここで参照できる刊本が、全体かどうかも怪しいし。

こちらでは江戸時代の刊本も見られますが、気軽に読むのは難しいです(笑)
http://www.pref.nagano.lg.jp/kikaku/josei/da/gallery.htm

栗岩さんは、〈信濃地名考著者の考〉と言ってるから、この吉沢好謙が別の書物で言及している可能性もありますが。

うわあ…

なんか、文献弱者な私に代わって調べてもらってるみたいで恐悦至極です(笑)。
見つけてくださったら、もう、なんと感謝してよいのやら。
というか、それだけ興味をもっていただいているということがなによりも嬉しいです。

ほんとに……気軽に読めませんね。私なんかは栗岩程度でもけっこう辛かったりして。
百年ばかりで日本語はこんなにも変わったんだなあ、と再認識させられます。

信濃地名考2

信州デジくらの『信濃地名考』上巻の最後のページに当該箇所を見つけました。
http://digikura.pref.nagano.lg.jp/cont/media_files/lib/original/2/11470.jpg

佐久郡・英多神社(アカタノ)神社のルーツの考察として、三代実録を引いています。
変体仮名なので読み間違えもあるかもしれまえんが、次のようなことを言ってるかと思います。

・守達も宇達も安達の誤り
・安達のルビは「アタ」
・守矢は別の神

さすがに安達は、「あがた」ではありませんでしたね。
アタが「あた」なのか「あだ」なのかは、昔の仮名なのでわかりません(まあ、濁音ってのは、あくまでも話し言葉レベルでの差異とされていたんでしょうね)

つまるところ
「守は安の誤りと考えられるし、安達と英多は音が似ているから、同じような気がする」
と述べているだけなので、(論拠が示されてない以上)「思いつきレベル」の考察と受け取るしかないですね。
面白いですけど。

なおこの版では、宇達神の「宇」を、誤って「字(じ)」と彫ってしまっているのは、ご愛嬌です。

『信州地名考』の神社についての考察は、上巻の39コマ目~41コマ目です。
詳しい方がご覧になると、他にも面白い発見があるかもしれません。

重ねがさね

ありがとうございます。

これなら、はい、さほど気にしなくてよさそうです(笑)。
予定通りに論を進められます。

当該資料ですが、なぜかurlが効いてないです。検索で拾うと、明治版は中巻と下巻しか見つかりません。原資料のほうは3巻そろって見つかるんだけど……さすがに無理!
またあとで再チャレンジしてみます。

上巻

では、このあたりからでは、いかがでしょうか。

http://digikura.pref.nagano.lg.jp/kura/id/02BK0104163001-jp

追記

あ、↑上のURLはおそらく検索でひっかかっていたんですね。
一応、上巻の41コマ目をご覧になってください。
(3番目のコメントのJPGのURLと同じ者ですから)

前文あたりとちがって、楷書でわかりやすい漢字も多いですから。

確認できました

手とり足とりすみません(笑)。
確かに、けっこう読めました(歌の引用以外は)。
神社については、気まぐれになんか思いつくと触れてる程度ですね。
玉依比売命神社に触れてくれていたらよかったのに……。

おかげさまで、引き続き栗岩の本でも読み進めてみます。
プロフィール

LooseFrog

Author:LooseFrog
基本的に怠惰で、社会人として問題の多い中年男です。
でも、興味の対象には嬉々として食いつきます。

loosefrog★gmail.com
(@に置き換え願います)

デタラメやカン違いや不適当な素材の使用等ありましたら、ご指摘ください。
もちろん、助言や感想も歓迎いたします。

***

字が小さいとの御指摘をちょくちょくいただきます。
P盲な私がいまさら細かいところいじるとワヤになりそうなので、ブラウザの拡大機能の使用を推奨いたします。

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