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小玉石を巡る冒険 その13

玉依比売命神社と安曇族(後編)

そもそも、信濃における安曇族の痕跡というのはいわれるほど濃くはない、ということを、ここではっきりといっておきたい。いや、確かに、はっきりと遺されている安曇族の痕跡は少なからずあるのだが、その隅々にまで、諏訪信仰の影響が入り込んでいるのである。長野県内で神社巡りをしていればイヤでもそのことに気付くだろう。
いくつか重要な例を挙げよう。

穂高神社は、現状、さすがに表立って諏訪神を祀ってはいないが、拝殿は諏訪造で、社殿配置も諏訪の下社系である。しかも中世には、穂高造りの本殿と並んで「南宮社(諏訪社の別名)御宝殿」が存在していたことが古図に確認できる。

安曇の象徴ともいえる泉小太郎伝説の主人公は穂高神の化身ともいわれるが、中世説話において、その母である犀龍は諏訪明神である。

長野市南部、千曲川を隔てて松代にもほど近い川中島~稲里町周辺に「氷鉋」とか「斗女」という語を共通項とする多くの古社が点在しており、安曇系の神社といわれている(先述の更科斗女神社もそのひとつ)。その大元である式内社に比定される氷鉋斗女神社こそ、今でも安曇神のウツシヒカナサクを祀っているが、そこにも諏訪神夫妻が配祀されており、その他すべての系列社では、単純に諏訪神のみを祀っている。

穂高神社の真南7~8kmばかりにある住吉神社は、信濃では貴重な純正の海神系神社といえる。規模、歴史とも注目に値する存在だが、そんな神社にすら、ちゃっかり建御名方が相殿している。しかもそのすぐ南の広大なエリアは、承久の乱に至るまで諏訪神官家の出である大妻氏が治めており、今でもプチ諏訪システムの遺構を数多く残している(上下社と想定される諏訪社、それぞれのムロ山、御射山の疑いが濃い「三社宮」、十五社など)。

つまるところ、信濃における安曇族は、相当に早い段階……遅くとも平安中期までに、諏訪勢力の支配下に入ってしまったものと考えられるのである。
穂高神社の神階上昇が、名神大社に相応しい階に達することなくぱったりと止んでしまうのも、そのことを示している。

いっぽうで、安曇族から諏訪勢力への影響というものも確実にある。

穂高神社にもっとも近しい古社である式内・川会神社では、八坂刀売が綿津見の娘であるとの社伝を残している。

その八坂刀売を祀るとされる諏訪大社下社には御舟祭があり、また、安曇野一帯を中心に、御柱祭ならぬ御舟祭をやっている諏訪系列社が少なからず存在する。

以上の材料をもって導き出す私の見解は、
諏訪勢力は、穂高神社に象徴される安曇族のプライドと文化の独自性を担保した上で、融合という形で安曇勢力を支配下に収めた。
というものである。
そう、守矢ら諏訪古族に対してそうしたように……だ。

こうしたやり口は中古までの金刺一族のお家芸であり、最大の強みだったのではないかと私は考えている。それが御子神、孫神たちの柱数の膨大さとなって表れているのではないか、と。
だから諏訪勢力は、安曇族に対しても、その信仰の痕跡を消し去るようなことはしなかったはずだ。現実に、御舟祭をおこなう諏訪系列社があり、安曇族の宮はそのまま安曇族の宮として存続しつつ、諏訪神が同居している例がいくつも見られる。ゆえに、もし玉依比売命神社の玉依比売が海神の娘であったのなら、海神としてのなんらかの具体的な痕跡が残っていてしかるべきであろう。
それなのに……。
どうして玉依比売命神社では、信濃における安曇族の合言葉、御舟祭をやっていないのか?
合計3柱も祀るなら、どうして1柱くらい海神一家やウガヤフキアエズ、さらにはイワレビコを祀らない?
社宝である玉類のことも、「児玉石」などと呼ばず、上社物忌令に倣って「満玉、乾玉」とでも呼べばいいではないか(だったら玉依比売ではなく豊玉比売を祀るべきだが)。

とにかく、根拠がなさすぎるのだ。

では賀茂なのか?という疑問も検証する必要がある。状況を鑑みれば、海神説よりは幾分有力であろう。
信濃において、純粋な海神系神社としては、安曇の住吉神社、川合神社というたった2社しか見つからないのに対し(摂末社や小祠は除く)、賀茂神社はそれなりの規模のものがあちこちでぼちぼち見受けられること。
鴨都波神社や飛鳥座神社に諏訪神がいる(いた)こと。
しかしながら、それらの要素と玉依比売命神社を直接結び付ける材料は特にない。玉依比売が単独で祀られているのであればまだしも、わざわざ三柱を合祀しているのであれば、やはりそこに別雷なり建角身なりがいてくれないと賀茂系だという説得力は出てこない。

もうひとつ、丹塗矢による懐妊という賀茂の玉依比売と同じエピソードを持ちながら、夫神と子神を異にする「活玉依毘売」(セヤダタラ)の存在も無視するわけにはいかないだろう。こちらははっきりと三輪神であり、大神神社神官家の祖神である。もし、よくいわれるように諏訪信仰と三輪信仰が古層で繋がっているのだとすれば、玉依比売命神社の祭神の正体としては、ここで取り上げた3神の中で最有力といえそうだ。
しかし……。
三輪と出雲を直結させてしまうのも個人的には問題が多いと思っているが、出雲と諏訪の縁という側面から見るならば、その関係の根拠は上社古族ではなく、金刺氏の側にこそ見出せる。
善光寺の間近に国史見在の美和神社があること。
同じく水内に鎮座する式内・伊豆毛神社のこと。
中央の神話(すなわち、建御名方という出雲神とその神名)を諏訪に持ち込んだのは金刺氏と考えるのが自然であること。などなど。

付け加えておくと、以前にも書いたかもしれないが、「本殿を持たずに神体山を拝む形が共通する」という見解は、思い込みを通り越して完全に誤謬としかいいようがないので、その件で諏訪(特に上社の古信仰)と三輪とを関連づけるような説は、論外である。
ただ、大神神社神官家の始祖である大田田根子はほかならぬ多氏なわけで、であるならば金刺氏とも同族であるという建前が成立する。金刺氏(またはその祖先)が北信~東信あたりをウロウロしていた時代、水内の美和神社や伊豆毛神社とともに祀ったという可能性も考えられなくはないだろう。少なくとも、綿津美の娘と考えるよりは遥かに多くの根拠が見出せる仮説だ。
しかしながら、活玉依毘売を主祭神とする神社は全国的に見てもほとんどなく(現時点で私はまだひとつも見つけていない)、あまりにも特異である。そしてまた、玉依比売命神社が三輪信仰の宮であるのなら、そのことを示すなんらかの痕跡(特に祭祀において)が遺されていてしかるべきなのだが、それもまったくない。アマテラスの代わりにオオモノヌシでもいれば非常に確度は上がるのだが……現時点で、この説を推すことはやはり難しいように思う。

と、どれを取っても決定打に欠けており、玉依比売命神社の玉依比売については、その正体が霞んでゆくばかりなのである。
式内の古社にしてこの得体の知れなさは、いったいなんなのだろうか?

といったところで私が思いついたのが、玉依比売一般名詞説に基づき、「既知の玉依比売のどれでもない、独自の玉依比売なのではないか?」という、無謀とも思われる仮説である。
といっても、正直、海神の娘とみるよりは遥かに穏当な推論だと思っているのだが。

ただ……個人的な思考の作法として、古代の神について、たとえば「Aという神とBという神は同神」というような決め付け方は極力避けたいという気持ちがある。「Aという神の正体は、本当はB」という表現も同様である。
たいていの場合、「Aは同時にA´でもあり、A´はB´と混じっているので、結果的にAとBは同じ神のように見える、場合もある」みたいな、ややこしい話なのである。
逆も真なりで、「Aという神はA´という神とは本来別神である」などというのも、迂闊な表現だと考える。
オオクニヌシの例がもっともわかりやすいのだが、たとえば「オオクニヌシ=オオナムチ=ヤチホコ」というのは、これはもう、記紀の述べるところなので否定しようがない。だがその実態を考えるとき、大方の学者は「オオクニヌシという習合神」という理解を前提に、「オオクニヌシ≠オオナムチ≠ヤチホコ」なのは当然のことと考えている。
古代の神のほとんどが、多かれ少なかれ同様の性質を持っているとみていいだろう。

玉依比売命神社の玉依比売も同じことだ。
名前に齟齬がないのでややこしいが、古層では「玉依比売≠玉依比売」だったとしても、今現在、祭祀者や氏子がこの神を海神の娘だと思っているのなら、それを否定はできないし、する必要もない。というか、神社である以上、歴史より現在進行形の生きた信仰を重んじるのが当たり前である。
まあ……「あーあ、恵比寿様だとカン違いして武居恵美酒に商売繁盛なんかお願いしちゃってるよ(笑)」などと内心ニヤニヤするシーンは現実にあるわけだが、その祈願者たちに「あんたら間違ってるよ!」などと指摘する気はないし、むろん、その必要もない。というか、そんなことをする意味がない。
宮内庁のいう「たとえ天皇陵の比定が間違っているとしても、百年そうやって祀り続けてきたので、魂はもう移っている」みたいな話である。愚かしいことなのかもしれないが、それもまた信仰というものだ。(※主題から外れる個人的な見解とか感想とかの補足を読んでいただけるのであれば、末尾の「つづきを読む」参照)

というわけで、私は「この玉依比売」に吸収されてしまった「名無しの玉依比売」の存在を想定したわけなのだが、のみならず、その「名無し」の部分にあてはまるのではないか、という土着神を見つけてしまったのである。
それは、イコール、諏訪信仰の秘奥「謎の磯並社」の正体が見えて来た、ということでもある。

ようやく、最初に言った「とんでもないこと」を言えるところまで辿り着いた……。
というわけで、

(つづく)
※信仰としては間違っていないが、「信教の自由を謳う国家に属する公的な国家機関が、自分らの信仰心を根拠に莫大な面積を占める国家的文化遺産を寡占し、国民の知的好奇心と学問の進歩を阻害している」ってのは……ねえ。それってもはや「違憲」なんじゃないだろうか(笑)。
もっとも、江戸~明治期の天皇陵捏造の痕跡も今となっては立派な信仰遺跡であり、ましてや数百年以上、もしかしたら千年以上に渡ってほとんど手つかずで放置されてきた古墳の杜に関しては、それはそれで保存すべき価値が十二分にあると個人的には思っている。というか、あの杜の美しさを愛している。樹木すべて切り倒して原型を復元しようなんていう調査事業を強行しようというのであれば、私は反対だ。
……ま、それでも、箸墓くらいはとことん掘ってほしいと思うけどね! ヒミコ云々はわりとどうでもいいんだけど、最古態の大王の実像に迫るという意味で。
と、このあたりの問題には以前から強い関心を抱いていたのだが、つい最近、矢澤高太郎氏にお会いする機会に恵まれ、その最新著書『天皇陵の謎』を直々にいただき、熟読したことによって、格段に認識を深めることができたのであった。
矢澤氏に感謝、そして出会いの運に感謝!
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