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小玉石を巡る冒険 その11

コダマ石あれこれ(後編)

「コダマ」に充てる文字として、「コ」に対しては「小、児、子、木、蚕」があり、「タマ」に対しては「玉、珠、魂、霊」がある。ただ、その順列組み合わせすべてが見られるわけではなく、ポピュラーに見られる組み合わせとしては、小玉、児玉、木魂、木霊、蚕玉、蚕魂あたりまでだろう。仏教の影響が色濃い場合「珠」も好んで使われるが、そう書いてしまうと単に「球状の貴石」の意味になってしまい、呪物としての意味こそ変わらないものの、「魂」の意味が後退してしまうため、古神道やアニミズムにはそぐわない。
ともあれ、これらの「コダマ」を性質別にざっと分類すると、

1.小玉、児玉
 アニミズム的な呪物としての石。豊穣と生命力の霊性を持つ。
 勾玉のような古代以前の宝玉類も、基本的にはこの範疇に入る。

2.木魂、木霊
 「ヤッホー!」と呼べば返してくるコダマ。西欧でいうところの「エコー」。
 その本来的な意味として、樹木の精霊。

3.蚕玉、蚕魂
 養蚕/製糸業を前提に、その犠牲となるカイコ蛾の霊。

ということになる。
とりえず本題である1は置き、2から見ていこう。

純粋、かつ抽象的に樹木の神性を祀る「木魂神社」というのは、まず存在しない。猟師はもちろん、樵人たちの信仰も「山の神」に集約されており、漠然とした概念、もしくは集合体としての「木々」を祀るといった形態を取ることはない。
いっぽう、神社には社叢(鎮守の森)や御神木が付きものだが、そもそも「モリ」という言葉自体が、神の宿る場所という意味を内含している(小学館『日本国語大辞典』の「森」の項でも、その旨は確認できる)。森や木々が神の依代であるということは、逆に言えば、森や木々そのものを神と看做しているわけではない、ということだ。
依代としての樹木信仰の名残を今に伝える好例が、諏訪信仰における「タタエ木」である。タタエ木において、その代替りはごくごく普通のことである。どんな巨木もいつかは枯れるが、以前と同じようにそこに神が降りて来てくれさえすればいいのである。樹木の品種が変わったとしてもまったく問題はない。タタエは祭祀の「場」であって、そこにおける神木は代替可能な存在なのだ。つまり、木そのものへの信仰とはいえない。この点で、最終的にミシャグジを木の神と断じてしまった柳田の思考は間違った方向にいってしまった、と断言していいように思う。

古木大木に限っては、実在する一個体そのものがアニミズム的な信仰の対象となり得る。といっても、まず神社があって、その境内地の樹木が神聖視され、大切にされた結果「御神木」と看做されるまでに育つ、というのが現状見られる一般的なパターンであって、これを樹木信仰と看做すには順序が逆である。が、実際問題として、巨木信仰に端を発する神社はおそらく少なからず存在するだろう(おそらく、といったのは、端緒となった樹木が遥か昔に枯れてしまっていては、実証のしようがないからである)。たとえば、独立した大木の前に小祠が置かれているという状況、これは今でもあちこちで見かける。こうした素朴な形がアニミズム的な樹木信仰の原型にもっとも近いわけだが、ただその場合、「神を祀った小祠の背後に御神木がある」と読むべきではなく、「この木が信仰対象なのだ」という「記号として祠が置かれている」とみるべきであろう。「木の神を祀った神社」ではなく、あくまでも「木が神様」なのだ。本来はそこに名の通った祭神などを勧請すべきではないのだが、祠があれば祭神を定めたくなるのはサガのようなもので、高木神や木股神といった樹木の神性をもった神が勧請されるケースが多い(巨木は水を蓄え、その根元から泉が湧くこともあるので、水神が勧請されることも多々ある)。だが、そうしてしまった瞬間にアニミズム的な樹木信仰ではなくなり、あたりまえの御神木を備えたあたりまえの神社という形態に転じてしまうのだ。

大きな神社でこうしたアニミズム的樹木信仰の形を今に伝える代表例が、ほかならぬ諏訪大社下社である。斎庭内の双本殿(宝殿)は左右に振り分けられ、参拝ラインの正面奥に御神木が立っている。この御神木には当然代替わりがあり、また、タタエ木という信仰形態が身近にあった諏訪だからこそ、こうした形が今に残ったのだろう。とはいえ、今現在、「じゃあ、諏訪大社下社の本質って樹木信仰なの?」と問われたとき、肯首する者は皆無だろう。
要はそういうことなのだ。

以上、神社と樹木の関係という時点でこのような状況なのだから、まして「玉石に樹木の神性を祀る」といった高度に抽象化された信仰形態があるとは、ちょっと考えにくい。
ただ、知る限り唯一の明確な反例として、本項「その3の補足」で触れた、真田町小玉神社を見ておく必要がある。この神社の旧名は割石明神といい、3つに割れた巨石の上に諏訪神を奉じた祠が祀られている。「割石/さくいし」の名は、当然「さくじ」の音に重ねた可能性が考えられるのだが、長野県神社庁HPに登録された由緒書に、「小玉は木魂にして、木魂明神ともいいます」とある。根拠はわからないが……磐座信仰に諏訪神、サクジと来て、「木魂」という神性を想定するのは非常に難しく、単純にコダマの音から連想された後付けと考えるのが妥当なように思われる。
磐座一般には、大地も森も水も含む大自然そのものの神性を見るほうが相応しい。強いて樹木に限定するのなら、それは森全体、木々のすべてを育む偏在的な霊性であって、それがたとえばタカミムスビという名の下に集約され、大木なり磐座なりにそういった神が降りてくる、という構造になるのである。
やはり、磐座や玉石に樹木のスピリットそのものを見る、という信仰形態は存在しないとみていいのではないだろうか。

次は3の「蚕玉、蚕魂」である。

養蚕業が盛んだった長野や群馬などでは、「蚕玉(こだま)神社」や「蚕影神社」を無数に見ることができる。だが、まず確認しなければならないのは、「蚕玉信仰」そのものは、さほど古くないという点である。もちろん、信濃近辺に養蚕による製糸・織物加工技術が伝わった時期としては、十分に奈良時代まで想定し得る。だが、「蚕玉信仰」のバックボーンとなる思想は、仏教の「供養」という概念の直接の影響下にある点に注意しなければならない。
養蚕が近代的な意味での「産業」となり、かつ、供養の概念が庶民にまで定着した時期として、中世まで遡ることができるかどうか。現実問題として、近在の蚕玉神社の創建記録や、無数に見られる関連文字碑の年号など、江戸初期まで遡るものはほとんど存在しないのではないかと思う。きちんと調べたわけではないので断言はできないが……。

と、ここで、前回の最後に触れた榛原郡のコダマ石の問題へと立ち返る。
野本寛一氏の観察と分析(と、なによりもフィールドワーク)は大いにリスペクトしているが、この件についてはちょっと肯けない。なるほど、綿でくるむことに関しては、確かに養蚕との関係なしには語れないかもしれない。だが、扇に綿の膜を添えて神社に奉納し赤子の誕生を感謝する習俗や(中沢新一の『精霊の王』では沢底鎮神社の例を挙げているが、上伊那の神社全般で見られる)、諏訪神社上社の御頭祭で、かつては神使が綿にくるんだ烏帽子を被って姿を現したこと(新婦の被る「わたぼうし」も直接的に連想される)などを思えば、特に諏訪信仰において、綿が「誕生」と「生命」に関わる性質を持っていたと考えることにさほど無理はないように思われる。
まして、衣替え神事によって児玉石が少しずつ巨大化していくという神秘を思えば、そこに生命、成長、豊穣の霊性が籠められていることに疑いの余地はないだろう。
この児玉石は「胎」のイメージを強烈に発散しており、それを養蚕信仰由来に限定してしまうのは信仰の矮小化でしかないように思う。
高勝寺の例に限っては確かに「蚕玉石」そのものとしかいいようがないが、諏訪神楽の伝播という前提を鑑みるに、やはり「小玉石(という観念、もしくは呪物)に蚕玉の性質を仮託した」とみるべきなのではないかと思う。

ただ、綿を胞衣とみなすような発想自体が蚕の繭玉そのものに立脚する可能性は大いにある。「生命力の玉」ということを考えたとき、再生を象徴するカイコの繭は、まさに「児玉(石でこそないが)」であるともいえるからだ。
養蚕に深い縁を持つ諏訪信仰だけに、「生命力の玉:児玉石」という概念が生成される中で、繭玉のイメージが作用していたと考えるのは自然なことだ。同じように、榛原郡のコダマ石にも繭を観想していた可能性は高い。だが、それでも……やはり、本質は養蚕業にあるのではなく、生命力と誕生の神秘にこそあるとみるのが筋だろう。
長野県ほかでは、小正月のどんど焼きの際、米粉の餅を丸く(または繭形に)整え、木の枝に鈴なりに刺して火で炙り、「おまいだま(繭玉)」と呼んでいただくという習俗もある。そこに養蚕業成功への祈りも含まれていたかもしれないが、むしろカイコの繁殖力と再生の神秘にあやかろうという面のほうが大きいのではないだろうか。どんど焼きは道祖神信仰に基づく正月の祭(すわなち、季節の循環を願い、太陽の再生を祝う祭)なのであって、別に養蚕業者たちがその神を祀る儀式ではないのだから、これは一族郷村の繁栄と豊穣を願う呪術とみるのが筋であろう。

しかしまあ、どちらが由来にせよ、「コダマ石」が豊穣と多産の神性を持っているという軸は揺らがない。
結論として、榛原郡の例の場合、より普遍的な神性である豊穣と生産の祈りが籠もった児玉石に、養蚕の繁栄への願いも包含されている、とみるのが妥当かと思う。
つまるところ、1の児玉石は、2の性質も3の性質も包含し得る、より広範で普遍的な呪性を持った存在だといえる。

以上見てきた通り、コダマ石はその表象や形態を限定しない、変幻自在の存在である。
「諏訪七石」というのは(おそらく)中世の諏訪神官による創作なのだろうが、なるほど、そのキャッチーな伝説は庶民にまで浸透した。しかし、現実に、その他たくさんの児玉石がこうして現存しているのである。ゆえに、「どれが本来の児玉石なのか?」という問題にはさほど意味がないように思う。そこには、「守矢満実に代表される中世の諏訪神官が児玉石だと思っていたのはどれなんだろう?」という、本質とかけはなれた各論的テーマがあるにすぎない。

自然石であろうと、加工された宝玉であろうと、丸石、石棒、ゴツゴツの磐座であろうとも、大きかろうが小さかろうが、「生命力の霊性を秘めた石」は、すべてコダマ石なのだ。
現状からみる限り、そうとしかいいようがないだろう。

(つづく)
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