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小玉石を巡る冒険 その10

コダマ石あれこれ(中編)

ここまでに、信濃國内のいくつかの児玉石を見てきた。
さて、それでは信濃國の外でも児玉石(もしくは類例)を見出すことはできるのだろうか?
答えとしては……できる。
できるのである。
それも、ごく限られた地域に集中して見出すことができる。
三信遠……すなわち、三河、信濃、遠江にまたがる山深き芸能の里。
そう、芸能の聖地として知られる天竜川下流を中心とする地域である。

この地域に伝わる花祭や雪祭、霜月祭は、神楽の最古態を遺すものとされる。かつてそれは、西から伝わってきて隔絶山村の中で保存、熟成されたものと考えられていたのだが、武井正弘氏らの研究により、逆に諏訪から天竜川沿いに伝播していったものだということがわかってきた。
残念なことに源流たる諏訪神楽は完全に滅んでしまったわけだが、現に三信遠の神楽では、今も「~水底照らす小玉石」がしばしば歌われているのである。
つまり、かの地は児玉石信仰の伝播先として申し分のないモデル地域といえるのである。

では、具体例を挙げていこう。

まずは「コダマ石」の名を伝える例として、磐田郡水窪の山住神社を挙げておきたい。
式内「芽原川内(はきはらかわち)神社」に比定される古社で、山犬信仰という非常に特異な信仰の宮として知られている。その本質には無関係なのだが、社の楼門の前に「こだま石」と呼ばれる岩があり、注連縄が掛けられている。溶岩と思われる高さ1メートルばかりのゴツゴツした自然石で、「磐座」と呼べるほどのサイズはなく、どちらかといえば立石の部類だろうか。こうした際立った特徴を持っているわけでもない自然石も、「コダマ石」足り得る、ということである。

いっぽう、裸祭で知られる磐田市の式内社矢奈比売神社と、その近在の府八幡宮では、非常に印象的な呪的祭祀として浜の小石が用いられる。祭日に臨み、あらかじめ浜辺で海水に濡れた丸石十二個を拾っておき、これを白紙でくるみ、十二支の文字を書き入れて出発前の神輿の周りに並べるのである。
ここには「コダマ石」の名称こそ認められないが、海岸での石拾いの習俗は「~水底照らす小玉石」の歌を直接的に想起させる。

もっとも、単なる浜石拾いの習俗であれば、この地域に限らず各地で見受けられる。たとえば和歌山潮岬では、節分の日、あたかも若水のように海水と浜の小石を迎える。
ただ、これらの信仰形態は浜の砂とともに用いられることが多く、直接的に小玉石信仰の影響下にあるとみるのはちょっと難しいかもしれない。とはいえ、やはり諏訪信仰の直接的な伝播範囲に多くの例が見られるという事実を無視することはできまい。

静岡市西大谷付近では、正月など節目の行事として、桶に海水を迎え、中に白い小石を3個沈め、松葉で塩水を撒いて清めをする。
小石3個といわれれば、いやでも武石子檀嶺神社の児玉石を思い出さずにはおれない。

また、浜名湖西岸でオオモノヌシを祀る二宮神社には飛玉伝承がある。この宮では神宝として多くの玉類を奉っているのだが、それは「飛来した宝玉」に基づく信仰だというのである。面白いのは、その宝玉というのがひとつやふたつではないという点である。社伝によるとその内訳は、「丸白大玉1、黒大玉1、石剣頭1、特選種玉26、大曲玉48、中曲玉29、小曲玉80、雑玉99、白玉1」とのこと。多くは勾玉だが、大玉というのは丸石の類と思われる。決定的なのは「石剣頭」というやつで、実見しなければなんともいえないが、これはおそらく縄文晩期の石剣か、さもなくば弥生~古墳時代の「石造模造品」とみて間違いないだろう。付近から出土した太古の遺物を集積して祀っている気配が濃厚であり、すなわち、二宮神社の宝玉類は玉依比売命神社の児玉石と完全に同種とみてよいのではないかと思う。
江戸後期に流行った「飛び神明」など、「タマ」の飛来伝承は分祀の伝説的表現として普遍的に見られるものだが、そこに呪物としての石が直接絡んでくると、やはり児玉石の匂いがしてくる。

参考までにもうひとつ、これはネット上で拾ったのだが、千葉県匝瑳市の「六社大神、御神宝“玉石”の由来」というのをそのまま引用しておこうと思う。
中臣定次という神官が遺した文書を現代語訳したものらしい。
引用元

応永二十三年(1416)九月三日の夜半、下総の国匝瑳郡野田の浦で、一人の漁夫が海をながめていたら、はるか玉崎の神原沖の波の合い間に何か光るものがある。翌日も同じ刻限に海岸へ出てみると、やはり光るものが現れ、野田の浦を照らしている。
 不思議に思った漁夫は、さっそく産土神(うぶすなのかみ)に参詣し、そのもようを私(中臣定次)に伝え海上の安全を祈った。私はこのことを広く村人に話したところ、すぐ村人たちは境内に集まってきて、みんなで海の平穏と魚の盛んになることを祈った。そしてその夜、村人たちはこぞって野田の浦へ行き、光を見ることになった。
 やがて、玉崎の沖の水底に光が見え、それが日の出のように波の上に現われて、カッと海面を照らした。私も村の老若男女も、その霊光ともいえる輝きに驚き、九拝して退いた。
 六日になって、一人の漁夫が波打ちぎわに玉のような小石が二つあるのを見つけ、私のところへ持ってきた。私はうやうやしくこの玉を受け、神殿に供えた。
 それ以来、野田の浦では大漁が続き、諸民こぞって豊かで楽しい暮らしができるようになった。それもこれも神様のおかげである―ということで、この地に海神を祀(まつ)り、私がその祭主となった。何と不思議なことであろう。この玉は神様であろうか。
 応永二十四年丁酉九月五日に、野田龍神にご神幸があり、翌六日六社(神社)に来て祭祀(さいし)を行った。それから玉崎に還幸となったが、私はこれらのことを後世に伝えんとして、ここに由来を記すことにした。


これもまた、「水底照らす小玉石」のイメージそのものである。
ただし、六社大神の六柱のうちに諏訪系の神は特に含まれていないので、直接の繋がりがある可能性は低い。

それからもう一例、非常に重要と思われるものを挙げておきたい。

大井川上流、駿河遠州の最奥部ともいえる榛原郡に、コダマ石神社がある。
(※「コダマ」は「谷偏に牙」+「谷偏に令」、すなわち「木霊」を意味する文語的表記だが、その表記自体は明治時代に宛てられたもの。中世時点で「児玉石」表記が確認されている。本稿では、以下「コダマ石神社」とさせていただく)
以下は、基本的に『神社と聖地 東海編』(白水社)からの抄録である。

『榛原郡神社誌』掲載の由緒によると、文明年間、山城国の梅津大納言なるものが信濃国飯田を経由して(※わざわざ経由地を記すあたりは注目に値する)この地に居住、姓名を改めて当社を創立。もとは大井大明神といった(※水源信仰を意味するのだろう→対応する祭神はミヅハノメ)。のちに砂金採集を生業とする当地の住民が、見事な鉱石を採掘、これを神体として石凝姥命(※イシコリドメ/天孫降臨チームの一員で、八咫鏡を造ったという鋳造の神)を勧請した、と。

『駿河志料』では児玉石権現社の名のもとにその秘祭の様子が記されている。曰く、

「三年目閏月ある年神事あり、旧例にて浜垢離沢へ神輿を出し、社家神楽を捧げ、神輿へ沢水を振り注ぎ清む。此社神体は円石なり、神事の度、いにしへよりの例にて、真綿に包み、封するなりと社家伝えり。」

この神事は「衣がえ」と称され今も伝わっており、閏年の11月23日におこなわれているという。極めて興味深い祭であり、引き続き『神社と聖地 東海編』(当該個所は野本寛一氏筆)から、以下しばらくは、直接引き写させていただく。

 まず正午を期して拝殿で例祭があり祝詞奏上、礼拝を終えると、宮司が本殿にのぼって御神体をおさめた祠を覆う弓・矢・鉾・御幣などを取り除く。禰宜や神役がそれらをリレー式に手渡しして拝殿の外に居並ぶ村人たちに渡すが、渡す前に。それら弓・矢・鉾・御幣に一枚ずつ新しい四手(しで)が付けられる。それらは新しい四手を加えられることによって威力を新たにするのである。
(中略)
 そうして禰宜や神役が御幣や武器を処理している間に、実にひそかに、宮司の手によって「こだま石神事」がとり行われる。この神事は秘儀であり、何びとも見ることを許されないが、その概略はおよそ次の通りである。まず、「左束の和紙」二枚を敷き、その上に真綿二枚を広げる。さらにその上に御神体を置き、真綿と和紙で御神体を包み、麻紐で三か所を縛って三方の上に置く。神事のたびに前回の包みの上にさらに包みが加わるのだから、御神体は雪だるま式に大きくなってゆくはずであるが、実際にはあまり大きさが変わらないという。


……以下、この御神体を神輿に乗せて浜垢離沢に向かい、沢の水を振りかける清めの儀式をおこなった後、神社に還坐する。
御神体の「芯」になっているであろう『駿河志料』いうところの「円石」については、歴代宮司も含め、当然これを目にした者はいない。

というわけで、私はこの「こだま石」に、諏訪系児玉石と共通する性質を強く感じた。
だが筆者の野本氏は、付近で養蚕が盛んであったこと、愛知県北設楽郡(これまた三信遠芸能エリアど真ん中)高勝寺の田楽で、白い河原石2個を奉じ「~白玉の御神、よき蚕の種とよろこんで」といった祭文を唱えること等から、最終的に養蚕業を前提とした「蚕玉/コダマ」に立脚する信仰であると判断している。
この結論には少々異を唱えたいので、その点も含め、次回「コダマ石あれこれ(後編)」にて、挙げてきた多くの例を俯瞰的に分析してみたいと思う。

(つづく)

※今回、及び次回の内容は、白水社『神社と聖地 東海編』を大いに参考にしています。
 原直正氏が、本稿との関連において同書をご教示くださいました。多謝!
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