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小玉石を巡る冒険 その8

武石 子檀嶺神社(後編)

疑問は募るばかりであった。
まず、古文書の存在を確認したい。目の前に現物を出されたところでそれを読むスキルなど持ち合わせてはいないのだが、とにかくその存在と奥書の年代(たとえ嘘でも)を確認したいのである。それなりの文献であれば『長野県史』(これがまた、膨大かつ検索性の低い手強い資料で…)なりに収録されている可能性もあるし、自治体の教育委員会に管理委託されていることも考えられる。
そして、近代においてなんらかの変化、変革があった気配も感じる。御柱祭が健在で、しかも昨年おこなわれたというのに、あの中宮の打ち捨てられ方は尋常でない。また、「慶徳殿」などという怪しげな名前から感じられるのは、「戦前」の空気である。国家神道ならまだいいが、「玉諸武彦」あたりからはオリジナル新宗教の臭いがしてこないでもない。

というわけで教育委員会の武石支部に電話してみたのだが……とことん! 徹頭徹尾! ラチが明かない。ただひとつだけ、『武石村誌』が存在することを聞けたことのみが収穫だったが、この本、県内の図書館でもなかなか所蔵していない。特に諏訪には皆無(諏訪圏のデータベースで類書を探して空振ったことがあるために、その存在を知らなかったのだ)。しかも、御柱祭の歴史についての考察があるだけで、神社そのものの歴史にはほとんど触れていないようなのである(教育委員会・談)。
『武石村誌』はそのうち機会を見て当たることとして、当面ほかに手の打ちようもなく、再度、宮司さんに電話してみることにした。前回の印象として、物腰柔らかで、少しも権威的でなく、教員を本業としていらしたとの話(教育委員会・談)にも肯ける立派なお方なのである。

--たびたびすみません。まず、古文書についてもう一度おうかがいしたいのですが、どこか教育委員会なりに委託されていたりするのでしょうか?
「いや、あの、基本的には神社の所有ということになるんですが、今はうちの方に引き上げて保管しています」
--え? そうなんですか……それで、社伝とか、造営帳とか、どんな種類の文献があって、おおよそいつごろのものなのかとか、少しでもわかりませんかね?
「うーん、それが……いや、まだちゃんと整理できてないんで……」
--そうですか……(整理できていない……?)。
「どのへんのことがお知りになりたいんでしょうか? まあ社伝は社伝としてありますから、そっちのほうは機会があればお渡しできますが」
--あ、ありがとうございます、ぜひ(印刷物でもあるのだろうか?)。あの、先日お宮のほうに参拝させていただいたんですが、なんていうか、こう、近代あたりの時代になにか断絶があったような……そういう印象を受けたんですが。
「そうですか? うーん……いや、大正7年、いや8年かな、大きな火災がありまして」
--あ、なるほど、その時に再建したということですか。それじゃあ、あの「慶徳殿」というのはなんなんでしょうか?
「もとは神楽殿なんですがね。今は直会とかのね、氏子さんたちの集会所というか」
--そういうことですか。しかし、そうすると……あの、神社庁のほうから、わりと最近先代から引き継がれたとうかがったんですが、宮司さんのお家がこの神社の神官を務められるようになったのは、いつごろからなんでしょうか?
「いつごろといいましても……うーん……まあ、私で29代めということになりますが」
--え? ええっ!?

予想もしなかった展開であった(まあ、主に観光課の「嘘」のせいなのだが)。
29代というのは相当なものである。むろん、かつては珍しくもなかったろうが、代々続いた神官家の多くが明治政府の専制的愚行によって絶やされてしまっている。出雲、阿蘇などの有名どころを中心になんとか続いたところはけっこうあるのだが、こういう知られざる雛の宮で29代の神官家が健在であるという事実は、ちょっと感動的ですらある。一代20年と想定すれば、室町時代も初期にまで届いてしまうのだ。
ということは……内容がどこまで信用できるかはさておき、社伝の出所だけははっきりしたわけである。
この神官家が代々受け継いできた家伝、ということだ。
そりゃあ、どこにも書いていないわけだ!
って……いや、しかし……ちょっと待てよ?
この町のお役所の感じだと、郷土史云々という風土でもなさそうだし、古文書もどうやら正規に調査されてはいないようだ。ということは、つまり……もしかして、この神社って「手つかず」なんじゃ……。

…………。

いやいやいやいや!
私ごとき浅学に本当のところはまったくわからないのだが……。
それでもまあ、とりあえず。
この狭い日本にも、まだまだ秘境と呼べる場所が残っているわけだが、しかし、それ以上に多くの、「探検に値する文化的秘境」が存在しているのではないか……ということを強く思わされた次第である。

改めて思えば……確かに「子檀嶺神社」は式内社であり、その名はよく知られている。だが、武石のこの宮と青木村の同名社とを比較したとき、論社としての説得力に圧倒的に優るのは青木村のほうなのだ。「子檀嶺岳(こまゆみ・だけ)」という名を持つ存在感抜群の神体山があり(→紹介例)、その山をとり囲む3方の村に里宮があり、中宮を持つものもあり、子檀嶺岳の山頂には3方それぞれの郷の本殿が並んで建てられている。まず、信仰圏の規模と厚みが圧倒的に違うのだ。しかも代表的な里宮は東山道に面していたと考えられ、遠からぬ町村境を越えると馬背神社(三代実録記載「馬背神」の最有力候補)がある。子檀嶺とは「駒斎(こまゆみ)」、すなわち、馬背神社ともども馬関連の信仰だと考えられているが、それは周囲が延喜式にいう塩原牧であったと考えられているからである。当然、中央に任命された牧官もいたはずで、そこから東に広がる塩田平には国魂社的な性質が色濃い生島足島神社があり、金刺氏、他田氏が上古以前における痕跡を強烈に遺しているのだ。

いっぽう武石の子檀嶺神社はといえば、のどかで広大な谷がいくつも交わる場所に位置する、山奥の小村の鎮守社である。遥か離れた美ヶ原から続く山稜に「子檀倉岳(こまくら・だけ)」と称する神体山を設定している。山頂下には清水の湧く磐座と奥宮があるといい(宮司氏・談)、地形的に見ても水源信仰は成立するものの、正直なところ、里宮から見上げていったいどの山なのか、まったくピンとこない山である。
式内社子檀嶺神社に比定される三代実録記載神は「駒弓神」なので、その点でも「こまゆみ」の呼称を今に伝える青木村が有利だ(ただし、現在の祭神は木股神)。古い時代において両社に直接的な繋がりがあった可能性ももちろんあるが、とりあえず、民間で「こまみね」と呼ばれ、中宮を駒形、奥宮を「こまくら」、古名を「獄石宮(たけしのみや)」とする武石の場合、おなじみの「あわよくば式内社」パターンで、江戸後期以降に子檀嶺神社を名乗るようになったと考えるのが自然であろう。子檀倉岳に「子檀」の字を充てるのも後付け臭く、本来は「駒倉」あたりが想定される。「倉」は磐座の「くら」とも考えられるが、倉稲魂(当社では「宇賀御魂」表記だが)の「倉」とも考えられる。馬を軸に考えれば「鞍」ということもあるかもしれない。
「こまみね、こまがた、こまくら」と来ればこちらも馬信仰の宮と考えられるが、いちおう「高麗」の可能性も考慮に入れておく必要があるだろう。
(あ、それは青木村のほうも同じか……)
あともうひとつ、善光寺奥宮ともいわれ彦神別を祀る「駒形駒弓神社」と両・子檀嶺神社の関連も、諏訪信仰研究の立場からは大いに気にかかるところだが……それはまた無期限の「後ほど」ということで(←パクリ)。

以上、10人研究者がいたら10人が青木村を式内社に比定するだろう……と、いうわけなので、武石の子檀嶺神社はおそらくほとんど注目されてこなかったのではないか。
しかし、式内社でないとしても、別の一神社として注目する価値があるかないかは、まったく別の問題である。
とりあえず私としては、「児玉石伝承」に注目せざるをえない。現時点でその伝承の根拠や古さについて確かなことはなにもいえないが、諏訪から遠からぬ山奥の雛の宮にそういう伝承があるという事実だけでも、十分注目に値するだろう。
なぜというに、近現代の諏訪信仰において、こうした小石や宝玉を対象とする児玉石信仰の表れは確認できないからである。今の諏訪にあるのは、児玉石神社の磐座だけだ。そのいっぽうで、古き諏訪神楽の残欠「諏訪の海 水底照らす小玉石 手には取るとも 袖は濡らさじ」に見る小玉石は、どう考えても小石である。つまり、小石を小玉石とする信仰の形は、諏訪ではとうに失われた形、おそらくはより古い形なのである。ゆえに、たとえ文書が偽書的なものだったと仮定したとしても、この「伝承自体はある程度古い(中世までは遡り得る)」といえるのではないか。

なお、「児玉石(玉石)によって分霊」というパターンについて、玉依比売命神社がそうであるかもしれないという可能性を除けば、今のところ類例は見出せていない。

ところで、近世以降の諏訪神社は、分霊時の御神体として、おなじみの薙鎌を授与している。その形態から、もしかして勾玉の代用品として始まったのではないか……などということも前のめり気味に考えていたのだが、とりあえず武石の宮の児玉石が自然石であったことによって、そっちの仮説は引き下げることと相成った。

さて、次回は、「コダマ石」とはいったいなんなのか?という問題を、多くのサンプルを取り上げながら検証していきたい。

(つづく)


【110429付記】

その後、『武石村史』を手に取ることができました。
あまり時間がなく、禁帯出本だったため、つまみ読みしかできませんしたが……

ごめんなさい!
武石村のことナメてました!

ちゃんとこの神社に関する記述がありました。しっかりした考察でした。
(ということは……やっぱり教育委員会に騙されたわけだが)
古文書もしっかり参照してます。
でも、体系だった調査と、整理・管理は、やっぱりなされていないような感じです。
また機会をみて追加報告をまとめたいと思いますが、本項で主題とする児玉石伝承については特に新情報がなかったため、とりあえずは話を先に進めさせていただくこととします。
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