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絶対秘仏萌え! その5

謎の浅草寺本尊 完結編

いきなり、ドーン!

観音御影

外陣からデジカメの望遠を最大にして撮った写真を、さらにフォトショで調整してみました。
コントラスト……明度……ついでにシャープもかけて、と。

……ま、こんなもんが限界ですよ。
ピンボケ、光度不足、手ブレの三重苦。
ちなみに、この写真は叱られたら引き下げます。あらかじめごめんなさい。
でも、いいよね、こんなダメダメ写真なら。まさに「御影」って感じじゃん。
みなさん、せめて拝んでやってくださいね。

ねんぴーかんのんりきー!

実見の記憶もおぼろげなので、この画像を土台にして、素人マニアなりにあれこれ考察を加えてみます。

えーと……けっこう、抑揚に富んだフォルムですよね。ポーズもくねっていて艶やか。そういう意味で、平安初期っぽくはないです。特に、足先がすぼまっている感じがなあ。これで堂々と両の足を広げ踏みしめていれば、もうちょっと古い感じもするんだけど……。フォルムの印象だけだと、鎌倉後期って雰囲気です。や、テキトー言ってますが。

しかし、前回述べたように、もしこれがオリジナル本尊のイメージにある程度忠実な像なのだとしたら、サイズと材質、尊形から見て……さらに本尊が古代仏だという前提に立つのであれば……オリジナル本尊は檀像(※注1)の可能性が高いように思われます。
となれば、渡来仏の可能性も十分にありうる。が、逆に、善光寺仏がそうである可能性ほどに古くはないということになりますが……それはしかし、創建年代にはぴったり来るということにもなり……。

……と、憶測に憶測を重ねても詮無いことですな。

しかし、ここで私は、前回最後に振っておいた「現代の謎」に直面することになるのです。

そういえば、前立像の写真って見たことないな……?

そうなのです。たとえば善光寺の前立像は写真出まくってて、鎌倉期の造像として重文指定も受けています。清水寺みたく、基本的に写真公開は前立像が身代わりを務める、という例も多いです。けれど浅草寺の前立像は……。
とりあえず、指定文化財のデータベース等を調べてみたのですが、国指定(※注2)、都指定、台東区指定、いずれにも見当たらないんですね。

そうすっと近世のパチモンか?(失礼!) 慈覚大師手彫りなんて大ウソか?(ますます失礼!)と、先走りそうになってしまうのですが、いや、ちょっと待ってください。浅草寺の仏像自体が、リストにひとつも見つからないんですよ。いや、宮殿脇侍の梵天・帝釈天にせよ、内陣左右に配された愛染・不動の各明王にせよ、裏堂中央の裏観音にせよ、せいぜい江戸期の像だとしたって、都指定か、せめて区指定くらいは受けていたっておかしくないじゃないですか。

あ、そういえば、裏観音の盗難事件の際、「文化財指定は受けていないが…」という記述があったような……。

http://www.47news.jp/CN/200512/CN2005122301001855.html

ニュースあった……。(※注3)

うう……それなりに古そうに見えたんですが、再建時の造立だったんですね……。
いきなり私の鑑定眼の底の浅さが明らかになってしまいましたが……そうすっと、周囲の仏像みんな昭和再建時の? え? じゃあホントは前立像も!?

……と、これまた性急な判断は避けておきましょう。
だって、じっさいもっと古い仏像は浅草寺には残ってるんですよ? でも、ひとつも文化財指定を受けていない。例外は二天門の二天像、伝法院の不動明王像ですが、いずれも本丸からは外れてるというか……あと、浅草寺蔵でなんらかの指定を受けているのは、二天門、六角堂といった空襲から焼け残った建造物、あとは「山東京伝机塚の碑」と、要するに露天のものばかりです。こないだの御開帳時に資料館?かなんかで見た歴代の絵馬なんかも、区指定くらいなら十二分なシロモノがざくざくあるんですけどねえ。指定リストには見当たらない。

うーむ……。

ここでひとつ考えられるのは、生きた信仰の中心であるが故のタブーです。
ま、前立像が昭和再建時のものだったとすれば、「それはなかったことにして」、慈覚大師手彫りの伝説を主張し続けているとか。「ツッコミは許さない!」って感じで……。

でも、心情的にはもうちょっといい方の解釈をしたいところです。

ひとつ考えられるのは……いや、憶測できるのは……いやいや、妄想できるのは、明治の実見が実話だったと仮定して、それゆえに、浅草寺が文化財調査に対して強いアレルギーを持っているんじゃないかと。調査の申し込みや文化財指定に対し、極めて慎重な姿勢を崩さないんじゃないかと(※注4)。
これ、ありそうじゃないですか?
タブーであればこそ、直接真否を問い合わせるような勇気は私にはありませんが……。

と、まあ、この妄想の真偽(妄想に真偽もへったくれもありません)はさておいて、もう少しだけ参考になる物件があるので、取り上げてみます。

温座観音

これは、「亡者送り」で知られる正月行事、「温座秘法陀羅尼会」の本尊とされる観音像です。以前注記したオフィシャル・ガイドブック「図説 浅草寺 いまむかし」から引用させていただきました。

ま、この行事自体は、江戸時代に岡山の金山寺から招来したものなんだそうで、そう古いものではないんですが……本尊と同じ尊格の別の像を、特定の行事に限って本尊に立てるって……密教臭え! なんだか二月堂の小観音すら彷彿させますね。

……本題に戻って、と。

これは……うん、木彫の聖観音像ですね……。
同書によれば、「(造像は)鎌倉時代」「源義朝が奉納したものと伝える」そうです。

ほら! ほらね! これ、指定文化財になってないの、おかしいでしょ?
や、典拠が「オフィシャル」の本だけに、なおさら余計に真偽が疑われる面は確かにありますが(笑)、でも、少なくとも昭和再建時の補作にそんな但し書き付けてわざわざ掲載するってこともないでしょう?
義朝といえば、かの頼朝の親父さんですから、寺伝通りなら平安末期(※注5)、それを「鎌倉時代」と記してるあたりの良心も信用したいじゃありませんか。
まあ……文化財指定もされてないのに誰が鑑定したのか知りませんけど。

そこで、「おまえの(ヘボ)仏像鑑定眼ではどうなんだ?」ってツッコミもあると思うのですが……いや、むしろしてほしいのですが!(笑) しかし……どう見てもこれ、模古作なんですよね……。

だってこの宝冠と宝髻、硬い立ちポーズ、胸部の彫り出し方、衣紋の形式……ズバリ白鳳~天平のスタイルですよ。もちろん、いくらヘボな私でもその時代の作そのものだとは思いません。あくまでも模古作だとは思います。なんていうか、その「模古っぷり」も中途半端な感じで……彫刻としての価値はあんまり……もごもご。

ただね、そこで思ったのは、「これ彫ったやつ、オリジナル見てねえか?」ってことなんですよ。
だって、なにを根拠に、鎌倉時代(ということにしておいて)に突然この形式で?
よその観音様をモデルにしたと仮定しても、ズバリ想定される像が思い当たりませんしね。

いや、「オリジナル」って表現を使ってしまいましたが、つまり、旦那衆(徳川家はじめとするエライ人たち)が奉納した観音像は浅草寺にたくさん残ってるわけですよ。多くは江戸期の像のようですが。そういう習慣はどこの寺でもあって(※注6)、前立目的の造像ではないにしても、要するに本尊の移し身ですよね。お手本になる本尊が秘仏だったら、仏師が尊名から適当に解釈して彫るのでしょう。この像も、義朝の伝説の真偽はともかくとして、大筋ではそういう類だと想像されるわけです。

で、この像容……?

「これはなんかある!」と思う私を誰も責められないと思うのです。
ちゃんと調べれば、すげえ簡単な種明かしに、あっさり足元をすくわれそうな気もしないでもないんですけど。
たとえば……祭事とともに金山寺から招来した、本来は浅草寺にまったく関係のない像だった、とか……。

ただ、もうひとつ。「秘仏」って概念は、そこまで古くないと思われるわけです。平凡社の『日本の秘仏』、毎日新聞社の『秘仏』、それぞれにおいて秘仏の起源に関する論考を寄せている藤澤隆子氏によれば、秘仏という概念の成立はともかく、「尊像を見せない、または隠す」という現象が記録に見られるのは、9世紀後半からのことだそうです。そして、各地で霊験仏の秘仏化が顕著に進んだのは、神仏習合が体系的に進んだ中世のこと。
善光寺なんかも鎌倉時代初期あたりが怪しいとされています。ま、善光寺信仰が大いに広がった時期でもあるんだけど、世に何百とある善光寺式一光三尊仏のほとんどが、鎌倉時代に作られているんです。
隠されたからこそ模刻仏が濫造された、という推理。
少なくとも、「この時期にはまだ秘仏本尊の尊形の記憶があった」ということにもなりますからねえ。

てなわけで。

私としては、「幻の浅草寺本尊は天平期の檀像、しかもひょっとしたら渡来仏ではないか。そして、秘仏化した時期は、実は早くても鎌倉期までは下るんじゃないか」と、推理……いや、妄想しているのです。

長くなってしまいましたが、以上で、浅草寺編「は」完結です。
次回は長野に出かけます。



注1)
仏像好きな方に対しては釈迦に説法ですが……檀像とは、香木(原則的には白檀なのだが、貴重なのでカヤ等で代用されることも多い)製の一木造りの精緻な小像で、唐で流行したものが、遣唐使や鑑真和上らよって技法・定義とともに伝来したものです。代表例として、あのかわいらしい法隆寺の(通称)九面観音像が挙げられます。材質の高貴さを生かすうえで、口唇などのごく一部を除いて彩色を施さないのが特徴です。

注2)
文化庁提供の指定文化財オンラインデータベースは、もうお役所仕事の典型というか、ゴミのような手抜き仕事を恥知らずにも晒し上げ続けていて(データの中身の問題です。体裁は請負業者さんがそれなりにやってます)、長いことなんのバージョンアップも見られないのですが、どっかの議員さん、国会で問題にしてくれないでしょうか。

注3)
のちに犯人は捕まって、裏観音さんはちゃんと元の場所に納まっておられます。よかった、よかった。

注4)
国の文化財指定を受けると、保存条件とか貸し出し義務とかいろいろ面倒なことも多いので、担当者と交渉の上で、強いて指定を断ったり、先延ばしにしている文化財所有者もいます。
たとえばの話、奈良の円城寺にある運慶の処女作大日如来は、長いこと重文指定のまま本堂の片隅にわりと無造作に置かれていましたが、本来の居場所である多宝塔が現代の技術で再建され、その本尊として納まると同時に、晴れて国宝指定を受けました。

注5)
源義朝の生没年は、1123~1160年。

注6)
浅草寺に遺された奉納像は、伝・家康念持仏ほか、例のガイドブックで何体か写真を見られます。裏観音の像容に似たタイプが多いですね。あ、逆か。
それと、奉納像の典型的な前例として、密教寺院の「密」性を最大限に体現し続けるかの三井寺には、古代~上古史上の名だたる超大物が奉納した弥勒像が何体もあるらしいのですが、本尊とともに、薄暗い内内陣にすべて秘されているようです。ひぃぃぃいい!
怖ぇえ! つーか見てえ!
さらに、浅草寺の御宮殿の奥の間にも、同じように、オリジナル本尊以外にそういう像が何体か納められている、って話もあります(金無垢の小像を含む?)。
こっちも怖ぇぇえ! でも見てぇ!
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