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御子神十三柱の再確認 完結編

御子神独自分類の試み

【十三柱の全バリエーションに登場する神】

伊豆早雄命、須波若彦神、池生神、片倉辺命、蓼科神、八杵命、意岐萩命

これら七柱の神々は、諏訪御子神の中でもより普遍的に重視されてきた神々である。
と、とりあえずは判断することができるだろう。当然のことながら、諏訪周辺にそれなりに立派な拠点(真地とは限らない)を持つ(または持っていた)神がほとんどである。
だがしかし、この分類については、より多くのバリエーションを探し確認していかなければならない。少なくとも、あと2つ3つはバリエーションを拾える可能性があるので、個々の神の重要度や普遍性を探るのはそれからの話だろう。
なんとなく、ではあるが、彦神別がこぼれるラインナップがあったのは意外なことだった。


【諏訪圏内で現在も信仰されている神】

伊豆早雄命、蓼科神、垂姫神

まあ、「信仰されている」という表現は大げさというか、実情を鑑みて非常に微妙なものがあるので、「一般に忘れられていない神」とでもするのが妥当であろうか。
須波若彦などは習焼神社に祀られているという意味では「今も諏訪で信仰されている」と確かにいえるのだが、おそらく鎮座地の南真志野以外の一般住人でその名を耳にしたことのある人はほとんどいないだろう、という意味でここには入れていない。草奈井比賣や兒玉彦も同様である。
反対に、「蓼科神という名の諏訪御子神」を知る人はまれだろうが、伝説や地名等から、「蓼科山の女神さま」という漠然としたイメージは普遍的に共有されている(もっとも、御子神の蓼科神が本当に姫神なのかどうかは知らない)。同様に、御子神がどうとかは知らなくても、八ヶ岳山麓の景勝地である「多留姫の滝」に女神さまがいるらしいということも、わりと知られている。半世紀も前に潰れてしまったが、「樽姫」という銘柄の地酒が健在だったころはもっと知られていたはずだ。

たるひめちゃん
「多留姫文学自然の里」マスコットキャラクター
著作権ヤバイかな~(笑)


まあこれらは観音さまみたいなもので、わりとミーハーなアイコンを連想しやすいがゆえ、現代人のアンテナに引っかかっているというだけの話かもしれない。
いっぽう、伊豆早雄命(諏訪では「出早雄」表記が一般的)は、間違いなく諏訪でもっとも有名な御子神である。岡谷市に大きな神社があり、紅葉の名所としても広く知られているがゆえであろう。また、本宮入口の門番神として、上社側の氏子にも知られている。ただ、諏訪の外にもこの神様を祀った立派な神社が二つならずあるという事実を知っている諏訪人は、滅多にいない。また、小萩神社が健在だった時代(昭和30年代初頭まで)は小萩命(意岐萩命)も同様に記憶されていたかもしれないが、現在、「出早雄小萩神社」と号した「小萩」の部分を気に留める人も、これまた滅多にいない。
付け加えると、御子神では全然ないが、手長さま足長さまは、デエラボッチとの重ね絵としての性質も含め、とてもよく知られている。


【自然神としての性格が強い神】

池生神、蓼科神、垂姫神、大橡神、兒玉彦命

池生神については、直近であれこれ語っているので仔細は省略。氏神属性も濃厚に感じさせはするものの、基本的に水神だということである。
蓼科神と垂姫神については、先の項で触れてしまった。それぞれ、特定の山、特定の滝を根拠とする自然信仰が原型である。そういう意味では、御子神といっても建御名方なんかより遥かに古い神である可能性が高い。結果的にこの二柱は、出自が諏訪だということがはっきりしている特例的な御子神でもある。まあ、蓼科神に関しては、山の反対側、佐久の側にも出自がありそうで、また北信で祀られていたりもして氏神的な性格も窺えるのだが。
大橡神は現状行方不明の神なのだが、諏訪市四賀に、かつて「橡(トチノキ)さま」と呼ばれる巨木と小祠があったらしい。いずれ湛木の名残のひとつでもあるのだろうが、これを氏神としていた古族がいたのかもしれない。山や川や岩なら半永久的に受け継がれていくが、巨木信仰となると、その木が枯れた時点で消滅する場合も多い(ひこばえ等で受け継がれる場合も、もちろんある)。
兒玉彦命の場合、その「岩の神」としての性質が濃厚である。諏訪市大和と湯の脇の境付近にある児玉石神社の主祭神で、ここの境内には巨大な磐座がごろごろといくつも並んでいる。上社の聖地、小袋石の脇の小祠に祀られているのは「興玉命」で、これは同神と考えていいように思う。また、かつて諏訪社では、分霊の際に「児玉石」という神宝を分け与える習慣もあったらしい(武石村子檀嶺神社の社伝。有名な玉依比賣命神社の児玉石も類例であろう)。そこに感じられるのは、「増殖する石、豊穣・生産の岩」といった神格である。が、その一方で、神長官系図には、かなり人間臭い存在として刻まれている。
伊豆速雄命も「いづ」の音から水神説があるが、それが本来であったとしても、そうした性質はあまり明確に伝えられておらず、人格神としての性格が色濃くなっている。

【地名関連の神名を持つ神】

妻科比賣命(長野市妻科)
片倉邊命(高遠町藤澤字片倉)
内縣神/外縣神/大縣神(諏訪祭政体の行政区分)
高志奈男神(岐阜県揖斐郡の高科か?「こし」と読んだ可能性もあるが…)
神坂雄神(飯塚久敏は佐久説だが、阿智村神坂峠のほうが必然性を感じる)
愛遲子神(も、もしかして「エチゴ」って読むのか?)
高石姫神(武石村説が散見される)
倉稲主神(千曲市倉科か?)
宇惠春神(茅野市上原、または上原氏関係……だろうか?)

地名由来の神名なのか、神名由来の地名なのかは永遠の謎であって、結論は出ない。氏族名と地名も古代に至っては同様である。ただ、中には、強引さが感じられるというか、そういう意味でなんとなくインチキ臭いやつもいる。
国家神道の影響下で社名を改めた神社なんか典型的なのだが、古色を演出して箔をつけたかったのかなんなのか、ただの地名にわざとややこしい漢字を宛てている例が多く見受けられる。ま、具体例を出すことは避けておくが、あのセンスを見ると、「ああなるほど、国学的センスというやつは、右翼経由で暴走族が受け継いだんだね」ということがよくわかる。夜露死苦神社! 尊皇Joey!
ま、歴史的視点から憶測するなら、ある地域が諏訪祭政体の支配下に入った際、そこの産土社に諏訪神を(つまり施政者としての神官も)送り込んだ上で、地名を冠した御子神を古来からの神としてデッチ上げる、なんて操作をやっていたのかもしれない。

【血統や親等関係に疑問のある神】

守達神
式内・守田神社の論社が水内のみに3社、うち1社がはっきりと守達神を祀っていることから、水内を拠点とする神であると見ていいだろう。しかし、その娘の美都多麻比賣が上社古族の守矢家に輿入れしているのはいったいどうしたことなのか。しかもその旦那は建御名方血筋の兒玉彦である。……とまあ、神様の系図を人間の系図のように読み解こうとしても詮無いのだが、少なくとも、なんらかの勢力関係の反映をそこから読み取ることはできるのではないかと思う。だいたい、「守宅神」というのは「もりや」とも読めるし、「もりた…」に通じる音でもある。守宅神と守達神って(ひょっとしたら洩矢神も)、もともと同神なんじゃねえの? といった疑念も生じてこようというものだ。
ちなみにこのあたりの関係は、有坂理紗子氏(この回で紹介)にご教示いただいた、善光寺齋藤神主家の伝承との関連も感じさせる。善光寺周辺で諏訪神を奉じる一族に「ぼくら金刺じゃなくて守矢なんだよ」といわれるといかにも唐突に聞こえるが、「もともと水内に拠点を置いていた国造一族ではなく、諏訪からやってきた諏訪ネイティブの一族が善光寺まわりで諏訪祭祀を始めた(それも、金刺との類縁で水内に進出した?)」という表現をするのなら、それはそれで十分に筋が通る。ただし、守矢一族と武居一族が同族という大胆な仮説を前提にしなければならない。
いつ、誰が、どっちからどっちへ行ったのか? それも何度も繰り返されている? というあたりが、善光寺と諏訪との関係の難しさである。ただ、このお戒壇のごとき真っ暗闇の迷宮の中の微かな灯りのひとつとして、守達神は輝いてくれるように思う。

都麻屋美豆姫命
単純に、美都多麻姫神と名前が似すぎてやしないか? という疑問である。また、「水」とか「玉」とか出てきて姫神となると、諏訪信仰周辺でうろうろしている安曇神(ていうか住吉神だが)、玉依比売命のことを思い出さずにはおれない。玉依比売には一般名詞説があり、また明らかな同名異神も存在するようなので、諏訪にもまた「別の玉依比売」がいたのかもしれない。

垂姫神
建御名方の御子神とされるいっぽうで、神長官系図では洩矢神の御子、守宅神の妹としている。山浦地方の中心にある多留姫の滝が真地であることに疑いはないわけで、だとしたら……たとえば、古代の諏訪で極めて有力だった山浦古族に対し、金刺勢力と守矢勢力との間で綱引きがあった、なんて読み方もできるだろう。……ま、あくまでもたとえばの話。

八縣宿禰
難解な神である。なにしろ別名が多い。佐久新海三社神社の社伝では、興波岐命、六老彦神、御佐久地神、そして八縣宿禰は同神とされる。
武居祝系図と諏訪旧蹟誌神系略図において、八縣宿禰は伊豆速雄の御子。いっぽう、諏訪旧蹟誌神系略図には興波岐命も同時に登場しており、こちらは建御名方の御子である。興波岐命は、御子神十三柱にももれなく参加している。
未だおぼろげなビジョンしか得られていないが、この神の正体に迫るためには、群馬、山梨、静岡、さらには畿内にまで足を伸ばす必要があるようだ。その筋道でピンと来る人もいるかもしれないが、ヤマトタケル伝承との関連も(武居祝絡みで、つまり後世の付会である可能性も当然踏まえて)疑っている。

というわけで、若宮の考察でも書いたように、御子神といっても現実に親神の直接の子、生物学的な親子であるか否かというのは、この際まったく問題ではない。オオクニヌシという名の人間が実際にいて、本当に何十人もの子をもうけたと考える酔狂な研究者はまずいないだろう。
だが、神話を構成する上で、矛盾が出てしまうのはいただけない。というのは建前で、個人的にはそういう部分こそが面白くてたまらないわけである。

しかしまあ、文献だ。
そもそも御子神十三柱という概念が登場する古文献にいまだ出会えていないのはどうしたものか。
今回何度も引いている「諏訪旧蹟誌」にしても、御子神オールスターズは出ているのだが、十三柱というカテゴリーには特に触れられていない。
当面、その根拠を十五社神社とその成立時期等に求めるしかなく(いや、せっせと文献を通読するのが本当は最優先なのだが)、そんなわけで十五社神社の実態の見極めが急務になってきたのであった。

(御子神十三柱の再確認シリーズ・了)
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