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頤気神社(長野市西寺尾)

御子神踏査報告 その5

まずは南に位置する、西寺尾の頤気神社から訪問したのだった。別に意図があったわけではない。単純に行程上の都合である。

千曲川から半キロばかりの平野部で、しかも蛭川、神田川という2本の川が合流する三角地帯の中央に鎮座している。……という地理的条件からは、あまり古くから土壌が落ち着いていた場所とは思えない。
が、意外なことに、かなり入り組んだ住宅街路地の奥にあって、辿りつくのに少々苦労させられた。つまり、所在郷村の古さは十分に感じさせるのである。その点、先に報告した長池の池生神社に状況がよく似ている。
いっぽうで……雨上がりに訪れたとはいえ、境内中がほとんどぬかるみだったことには少々驚かされた。水源という意味で境内が水っぽい古社はたくさんあるが、それは基本的に山際もしくは山腹に鎮座する神社である。大河近くの平地で、水はけの悪い印象の境内というのも……。水害の危険に怯えこそすれ、水不足に悩まされることがあるとは考えられない、そういうロケーションなのである。

さて。境内は相当に広い。

西寺尾池生社頭

西寺尾池生社境内

たまたま本殿脇、つまり裏側から侵入してしまったのだが、正面の鳥居がかなり遠かった。拝殿から百メートルでは全然きかないだろう。しかも、参道脇には住居が迫るでもなく、広々と境内地が確保されている。名神大級式内社のような知名度(つまり観光参拝需要)がなく、かつ住宅地内に鎮座する神社としては、望みうる最大限規模の境内地を確保しているといっていいのではないだろうか。

参道脇には境内摂社が点々と。

西寺尾池生社摂末社1

西寺尾池生社摂末社2

そして、非常に立派、かつ重厚な拝殿。

西寺尾池生社拝殿

前面に舞台を備えているので、「神楽殿・兼・拝殿」ということになるのだろう。そのこと自体は珍しくもないが、間口が五間と広く堂々たる建築で、立派な向拝を備えた正面観にはただならぬ風格が漂っている。赤いトタン張りの屋根が少々残念な感じだが……しかし葺き方は銅板葺の方法のようでもあり、屋根の厚みの感じとか向拝部分の微妙な曲面的形状等を見ると、かつては桧皮葺であったのかもしれない……などとも思うのだが、建築の専門性は持ち合わせていないので、正直よくわからない。だが、もしこれが桧皮葺だったら、それこそ重厚な、極めて品位の高い建築物であったろう。

西寺尾池生社絵馬

舞台奥正面の欄干に、巨大な神話絵馬が掲げられている。昔の絵本の「オオクニヌシのお話」みたいな感じで非常に微妙な代物なのだが、なんだか素朴で好ましい。
まあ……描き手の人間性が滲み出ているのであろう。
その額の中に祭神「池生命/健御名方命/事代主命」と書かれているのだが……この絵のモチーフについては、どこかで見たような湖を見下ろして佇んでいる風情から見て、おそらく池生ではなく建御名方を描いたものなのではないかと推察される。
古いものではなさそうだが、それゆえにこそ余計に、池生命の姿を具体的にイメージできるほどの情報や材料が全然なかったんだろうなあ……ということをリアルに思わされた。

西寺尾池生社本殿

本殿は、オーソドックスな一間社流造。全体にシンプルだが、脇障子には凝った彫刻が施されている。素っ気なくもなし、ゴテゴテでもなし、諏訪育ちの感性にはしっくりくる(ということは、いずれ大隅流か立川流か。まあ、ちょっと調べればたぶんわかることだ)。

ちょっと面白かったのは、拝殿の背後から本殿へ、板張りの玉垣に囲まれた禁足地の様子。拝殿後ろの石段から本殿の足元まで、庭園風の石橋で結ばれていたのである。

西寺尾池生社石橋

おそらくは単なる「趣向」であって、深読みするほどのものではないのだろうが、珍しいことは珍しい。なんというか……ソソる。実際に自分で渡ってみたくなる感じというか。
強いて深読みするなら、水あっての橋……水神の本殿前の趣向としてはなかなか気が利いているように思った。雨が降るとぬかるむような境内地だけに。

本殿周辺にも小祠がいくつもある。

西寺尾池生社摂末社3

西寺尾池生社摂末社4

拝殿の左脇には、参道と両部鳥居まで備えた境内摂社が。
しかし全体に、摂末社に関しては格別に引っかかるようなものはなかった。
ヤマトタケルがいたのが、ちょっと気になった程度か。

そして、御柱。

西寺尾池生社御柱

二本立てである。
そう大きなものではないが、これぞ、氏子の諏訪系列社としての自覚の証。

西寺尾池生社大欅

ケヤキの古木は見事。優に400~500年級であろう。
ほかにも200~300年級と思われるケヤキが何本もある。

雨上がりの上、木の繁った暗い境内で、いつも以上に写真の質が悪いことをお詫びしたいのだが……そう、社殿も、境内も、全体に重々しい印象の神社であった。古社の趣、式内の格式は十分に感じられる。
また、平地・住宅地の中にあり、かつ観光需要もなしにこの規模の境内を今も維持し続けているということの素晴らしさ……そこは、代々の宮司さんと氏子さんたちへの最大限の敬意とともに特筆しておきたい。

境内に隣接する民家も、ただの民家ではないぞ、というオーラを漂わせている。

西寺尾池生社民家2

西寺尾池生社民家1

いずれ、有力な氏子衆なのであろう。

個人的な経験則と感覚では、少なくとも中世までは遡りうる古社なのではないかと感じた。まあ、さほどあてにはならない「個人的な経験則と感覚」ではあるのだが、にしても、立地における説得力において、湧水信仰の宮ではない、ということだけは確実にいえる。
たとえばそれが江戸期の創設であるならば、ありふれた農村の鎮守、すなわち農業を支える水神という可能性も出てくるのだが、境内規模と重厚な雰囲気からはとてもそうとは考えられず、式内論社としての説得力すら十分に感じさせるのだ。となれば、やはり氾濫鎮めの祭祀を原形とする古社であるとの判断を私は採りたい。

この宮が池生神の真地か否かはさておくとしても、「池生神の本質(のひとつ)として、氾濫鎮めの機能があった」ということは認める必要があるように思う。
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