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池生神社(上田市小島)

御子神踏査報告 その3

次に見る池生神社だが、これまた興味深い場所に鎮座している。それは塩田平……といって、一般にどこまでピンと来てもらえるのかどうかはなはだ心もとないが、ここもまた、信濃国造一族、すなわち金刺氏ゆかりの地と考えられているのである。
詳しい話を始めるとまた話が逸れてどんどん広がっていくので、自重。事情をご存じない方は、ただ、「ああそうなんだ」と納得しておいていただきたい。そのうち、きっかけや気分次第では、今回訪ねた「生嶋足嶋神社」や「安曽神社」を扱うこともあろうかと思う。その際、存分にやらせていただきたい。

とにもかくにも、そういう場所にある池生神社なのである。

塩田平は小盆地である。東方やや遠く浅間山、南方間近には独鈷山の荒々しい岩尾根が立ち上がっているのが見える。独鈷山の麓には「小鎌倉」として知られる別所。北方だけが開けていて、善光寺平へと続く千曲川がゆったりとした流を成しており、その対岸が、国分寺や科野大宮(ある時期の信濃国総社)がある上田市。周辺は長閑な農村地帯である。
下は、浅間山遠望。

浅間山遠望

地域性に加えて注目したいのは、ここが「池の端にある池生神社」である点だ。
池生神を、その名の通り素直に池の神と看做していいのかどうか。その判断材料のひとつとして期待される。

というわけで、これが「小島大池」。

小島大池

先述した通り、この地域は讃岐並みとはいわないまでも、県内の小学校の社会科で必ず習う程度には溜池で知られている。実際、無数の溜池が点在しているのだが、この「小島大池」は、中でも比較的規模の大きい部類といえる。溜池をある種の「名物」として自治体で意識しているのか、真新しい案内看板が立っていた。

小島大池看板

小島大池看板2

ま、ふーん、という程度の話。
真田さんの普請記録が豊富に遺されているため、由来についても非常にはっきりしているらしく、この看板には元和4年(1618)の築造と書かれていた。江戸の初期も初期、幕藩体制成立の直後にこれだけ大規模な土木工事を遂行している点には感心させられる。

灌漑のための人造溜池というのはまあ予想通りだったのだが……。

小島池生社頭

池に直面する形で、右手に鳥居が建っているのが見える。
正面の山が、塩田平の水分山として信仰(→塩野神社)されてきた先述の独鈷山。

小島池生池側鳥居

池の端の鳥居。参道は右手直角90度に折れ、その先に拝殿がある。
写真正面に一対の石燈籠が見えるが、そこからちょっと石段を降りた先にも、もうひとつ鳥居がある。

小島池生正面鳥居

構造上、どちらが正面なのかよくわからないが、「国史現在池生神社」の標柱があり、登った先が池、という印象面から、後者、下段の鳥居が正面だろうか。

小島池生社境内

拝殿は新品。御柱こそ建っていないが、御柱年ごとの式年造営が守られているのかもしれない。であれば、正統の諏訪系列社であることが認められる。

小島池生社本殿

本殿は三間社流造。シンプルながら、なかなかの風格だ。
三間の区切りが非常にはっきりしているので、相殿神二柱の存在も想定される。

小島池生境内社

摂社末社。
天神、金比羅、蚕影。もう2~3社あったかも知れないが、忘れた。
北信、東信では境内社に限らず天神と金比羅の小祠が非常に多かった印象がある。あと、猿田彦もだ。

小島池生社御神木

御神木。さほどの古木ではなさそうだが、実に立派な枝ぶり。種類はよくわからないがドングリ系の類であろう。

さて……。
なんだか通りいっぺんなレポートになっているわけだが、到着時、早々に真実に気付いてしまったのである。

暗い写真で申し訳ないが、これが池の脇。正面に黒々とした社叢が見える。

小島大池土手

左の土手の上が小島大池になる。つまり、盛り上げた土手(堤防)で囲まれた中が池になっているのだ。天井池……という言葉があるのかどうか知らないが、天井川と同じように、周囲の平地より水面のほうが高い位置にあるのである。溜める水をどうやって流し込むのかは知らないが……灌漑目的に都合のいい構造ではあるのだろう。
今一度、池と反対側の入り口の風景を見てもらおう。

小島池生土手下社頭

この石段は、池を囲む堤防に取り付けられているわけだ。そして社地は……左上、堤防と同じ比高の台地上に築かれている。

というわけで、構造的にいって、この神社は堤防の完成以降に祀られたということが明らかなのである。
すなわち、創建は元和4年以降。

無論、もともとあった神社を小島大池築造時、堤防上に移転したという可能性も残されている。が、近在の郷村にとってまさに命脈であるところの溜池、その守り神として「池生」の名を持つ神を勧請した、そう考えるほうがより自然であろう。
よって、この神社に関しては、「国史現在社」との主張は残念ながら却下である。と同時に、池生神の由緒や出自、本質を探るための参考物件からは除外せざるを得ない。

とはいえ、溜池の守り神に池生神という「いかにも」な組み合わせが、この溜池集中地帯にあって定着するでも流行るでもなく、ほぼこの場所でのみ、特異例としてしか認められないのは逆に不自然な感じもする。いずこかの池生神社の氏子が移住してきたとか、たまたまそのころ諏訪関係の神官が近所にいたとか訪れたとか、特殊な事情があったのだろう。池生神というのは、分析と理解にそうした配慮が必要な程度にはレアかつマイナーな神なのである。

由緒書がないので、正式な祭神についてはわからない。追って、地区の郷土史でも当たってみたい。しかし、社殿を新築するほどの熱意があるのだから、由緒書のひとつも用意してほしいものである。

なんだか冷たくあしらってしまった感じだが、本来、江戸最初期創建の神社ともなれば、十分に古社として尊重されるに足る……ということは付記しておきたい。
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No title

池生神って何なのかよくわからないので、ググってみたら、このブログが最初に出てきました……(笑)
まあ、グーグルさんに頼ってちゃ、本当のことは何もわかりませんけどね。

教会の聖ペテロとか聖トマスだったら、なんだかんだいって元人間なんで、信仰の対象になっている図が想像しやすいし、仏教だったら大日如来みたいな自然パワー系だって仏像の姿をとるから、だからまあ、とりあえず、仏様にむかって拝めばなんとかなるのかなって気がするけど、池生神とか、人間じゃないし、姿形もよくわからないじゃん(変に神像化されると、胡散臭さが倍増するし・笑)

そういうのを、氏神として共有できる社会ってのが、現代人といいますか、本地垂迹以降(いつの話だよ)の人間としては、今ひとつ想像しにくいんですよねえ。
本当いうと、近代以降の神道に毒されていて、江戸時代以前の神社のありかたってのも、よくわからないんですけど。

レベル低すぎる感想で申し訳ないですが。

Re: No title

毎度ありがとうございます。
なんかもう、精読してもらえてるってだけで大感謝なんですが。

おっしゃることはごもっともで、そのへんは古代神を追いかける上での悩みの種でもあります。
氏神ってのは御先祖様であることも多いわけで、そうすっとれっきとした人格神ですよね。
たとえばヤマトタケルとかになると、完全に「人」としてイメージできます。
それが池生神みたいなアニミズム神になると、確かにアイコンがイメージできない。

ところがですね、その池生神を「祖神」と称していた一族がいるわけですよ。
古事記の神々でも多々ある例なんだけど、人格神とアニミズム神が混じってることもあるわけで。
そこがホント難しい。
「池生神って女神様かも」なんてことも以前の記事中で口走ってますが、ま、そのへん、
「池生神・後編」でどこまで書けるか……自分でもまだ全然わかりません。
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