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そこにあるはずのない白鳳仏 その1

諏訪信仰史のタブーを秘する古刹、照光寺

「どうしたものでしょうか?」と引っ張っておいて、さて、実際にどうすればいいのかと考えるに、これはもう、直接聞いてみるしかないわけです。
で、私は、そうすることにしました。

……と、その前に。まずは、このテーマの舞台となる照光寺というお寺について、ざっとご説明しておかねばなりますまい。ただし、蓋然性(つまり、考えられる仮説等)については、強いてこの段階ではカットします。バイアス抜きで、客観的な現況を把握していただきたいからです。

城向山瑠璃院照光寺。真言宗智山派。
本尊は、正徳3年(1713)銘のある金剛界大日如来像。

照光寺山門風景

こちら、山門の風景。小さな山門ではありますが、寺格の高さをそのまま感じさせてくれる立派なプロムナードです。

先述のように、ここには下社神宮寺の什宝が数多く伝来しています。特に、下社神宮寺の本地仏であった小仏の千手観音像(鎌倉初期、平安末期説もあり)、同じく三重塔本尊であった脇本尊の胎蔵界大日如来像(室町時代の正系慶派仏師・康忠の銘あり)、この2点は相当な名品です。

創建は不明で、記録の上ではっきりと確認できるのは、諏訪大社下社の別当寺である「海岸孤絶山法性院神宮寺」の起立書が最初です。照光寺が下社神宮寺唯一の末寺であり、応永2年(1395)に神宮寺の僧が照光寺に入って中興した、との記事があります。

この起立書自体が江戸中期、寛保のものではありますが、まあ特に疑う理由のない記事ではあるので(「弘法大師開基」という真言寺院お決まりの古伝承を除けば、「粉飾」と言えるだけの大げさな内容がほとんどない)、まず大前提として室町中期の再興であり、普通に考えて鎌倉期までには存在していたであろうことがおおよそ推定できます。

また、照光寺の正式名称が「城向山瑠璃院照光寺」であり、また、この再興時点では「瑠璃院」がそのまま寺名であったらしく、そのころは「東ノ坊」という冠もついていたという点から明確に察することができるのは、本来、東方浄土の仏であり「瑠璃光」の尊名を持つ薬師如来が本尊であったろう、ということです。
ちなみに、下社秋宮から見た照光寺は西に位置するので、神宮寺の末寺として「東ノ坊」を称する理由はありません。
あ、あと、「城向山」にも相応の根拠があるのですが、その点については、また後で触れます。いや、触れないかもしれないけど。必要に応じて。

照光寺本堂

こちら、照光寺本堂。
諏訪大社下社春宮の拝幣殿と同じ、大隅流の宮大工による18世紀の堂々たる建築です。

しかしまあ、鎌倉期の寺院であれば、諏訪の歴史としてはなんの不都合もないのですね。上下社の神宮寺も、慈雲寺、仏法寺(現・仏法詔隆寺)、他いくつかの寺も、鎌倉期にはすっかり成立していたと思われるのですから。
問題は「それ以前」であって、額面通りに受け止めるなら、やはり「白鳳の秘仏」とはまだ500年余の隔たりがあるわけです。

とにもかくにも、前回紹介した看板以外にまったく資料がないのですから、いやもうホントに、「あれってどういうことなんでしょう?」と、直接聞いてみるほかないのですよ。

まあ……私も昔取った杵柄というか、「取材」という行為には慣れ親しんでいるので、飛び込みで取材を申し込んでもよかったのですが……なにしろ相手の格式が高い。比べてこちらには、仕事としての取材のような出版社等の後ろ盾がまったくないわけです。単なるチンピラ同然のいちマニアに過ぎない(すみません、見た目もわりとチンピラなので)。ちょっと……厳しいかなあ、と。

そこはしかし、地元の強み! 照光寺さんの門前に、高校時代以来の友人の実家があるのですね。しかも、がっつりと檀家さんらしい。「あるコネは使え」というのがこの世界(どの世界?)のセオリーですから、私はこの友人に甘えさせてもらうことにしました。
……ちなみに、浅草寺の資料をお願いした友人と同一人物ですが(笑)。

おかげさまで取材は速攻実現し、寺務長さんが対応してくださいました。

なにしろ、先代も現住職も「碩学」のひとことでは片づけられないというか、高踏的というか、もはや生きながらにして聖性を帯びた存在なので、正直、かなりビビリも入ってたんですが……寺務長さんは素晴らしくフレンドリーな方で、とても救われました。ホントにもう、感謝にたえません。

さて、ここからは話の順番が難しいのですが……ま、素直に行きましょう。

あいさつもそこそこに、本題である薬師如来像の話題に切り込みます。

「秘仏ということは……あの、特に御開帳とかなくて、一般に公開してないってことですよね?」
「ま、そういうことですね」
「それで、ご住職とか、こちらの方々は見たことがあるんでしょうか?」
「や、それはね……長老だけが見ています」
「そ、そうなんですか……!」

宮坂宥勝先生だけが見ている!

いやもう。なんか。大変なことに……。
それを根拠に「白鳳銘」ってことなんですね……。

オロオロ……。

「なんか、上半身に焼け焦げの跡があるみたいです」

えっ……!?

そこで、寺務長さんが見せてくださった新資料の登場です。

「照光寺誌」。

詳しくは追って説明しますが……要するに、檀家さん向けにまとめ、檀家さんに配った私資料で、非売品。照光寺の古文書をベースに、檀家筋の協力のもと宥勝師に至るまでの三代かかってまとめ上げたという大変な労作です。編著者というか、出版の最終責任者が宥勝師ですから、これはもう、あだやおろそかにはできません。
(諏訪の郷土史好きな方々へのお知らせ:後で確認したら、岡谷市の図書館にはちゃんと入ってましたよ!)

初めて見たこの「照光寺誌」に、件の薬師如来像は、「像高33センチ、木造」とありました。

え……?
えええええーーーっ!?

木造!

いや……白鳳仏と聞いた時点で、しかもこの辺境の東の地に残っているという時点で、なんかもうすっかり金銅仏だと思い込んでたんですよ。や、先入観といえば先入観なんですが、しかしね、常識的に考えてそうじゃないですか?

木彫仏が!
白鳳の!?

(も一度)えええええーーーっ!?

ますますもって、とんでもない……。

さあ、以降は、この(オレにとっての)新資料と合わせて話を進めていきたいと思います。

というわけで、今回はここまで!
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