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心地よく古墳めいたところ その2

諏訪大社職舎直下の怪しい物件

さて、前にも触れたことがありますが、大前提として、諏訪地方の古墳文化は貧弱です。というか、「その伝統のわりには貧弱」というのが正しい表現でしょう。
つまり、古墳時代後期~末期、さらには奈良時代にかけての小円墳であれば、ぼちぼち遺されているというわけです。墳丘が完全に失われてしまったものまで含めれば、諏訪市、茅野市、岡谷市、下諏訪町の諏訪湖を囲む(現在では茅野市は諏訪湖に面していませんが)4自治体の総計で、軽く50や60は発見されているでしょう(←適当な数字です)。(※090709付記注)

ただ、規模の大きいやつは全然ないですね。まず、唯一の前方後円墳とされる青塚古墳、それから、周濠があったと伝わり、もしかしたら前方後円墳だったかもしれない岡谷市長地のスクモ塚古墳の2つがそれなりに大きいくらいです。それでも墳長100メートルはなく、全国にあまたある巨大前方後円墳に比べれば、子供の砂遊び程度のもんですね。

そういった条件を前提としても、諏訪社4宮中秋宮周辺だけが、際立って古墳が少ないんですよ。ま、先述の青塚だけが秋宮の直近にあるのですが、ほとんどそれだけ。下社大祝・金刺氏以下、五官と称される重要な神職たちが秋宮周辺にいたにも関わらず、です。
もっとも、春宮周辺にも大祝邸跡と伝わる遺跡があるのですが、これはおそらく、下社の衰退期に一時的に本拠を移したものなのではないか、と考えられています(※注1)。なんといっても、五官筆頭、上社の神長官に相当する武居祝が、古代から維新に至るまで秋宮上の武居地区を拠点としていたわけですからね。

にも関わらず、上社周辺は言うに及ばず、春宮周辺の高台にも少なからぬ古墳が点在しているというのに、秋宮周辺だけが極端に貧弱、それでいて、青塚古墳1基だけが突出しているという奇妙な状況なのです。
秋宮周辺で青塚のほかに確認されているものとしては、武居祝の拠点からさらに沢を登った山奥に小円墳が2基、記録には残っています。いや、2基中1基は昭和の半ばの段階で石室の存在がしっかりと確認されているので、もしかしたら現存するかもしれません(所在地の自治体である下諏訪町は、正式な調査はおろか、保存等の対策をいっさい講じておらず、完全放置プレイです。罵倒に足るアンポンタンっぷりですが……まあ、予算がないんでしょう)。
……ま、そうですね、藪の枯れる時期になったら、探しに行ってレポートでもしてみますか。

ともあれ、その2基があまりにも山の中にあるんで、周辺に未発見の古墳がいくつか眠っている可能性は十分にあります。古墳の発見……いやあ、ロマンですね! 人として生まれてきた以上、生涯に古墳のひとつも発見してみたいじゃないですか。や、無茶苦茶言ってますが。
そんなわけで、私はこの周辺を散歩する際、いつも怪しい物件に目を光らせているのです。

たとえば……青塚古墳のすぐ上、山際に「小湯の上」と称する古集落があるのですが……このへんなんかものすごく怪しい。プンプン匂います。古くから民家がぎっしり建っている場所なので古墳があったとしても残っている可能性は非常に薄いんですが、でもね、民家の庭に鎮守の祠かなんかあって、それがでっかい平石(ただの庭石なんだろうけど)に乗ってたりすると……思わず立ち止まり、腕組みして沈思してしまったりもするわけですよ。

さてそこで、この周辺にひとつだけ、とても怪しい場所に、とても怪しい物件がひとつあることを私は知っています。今回の本題は、ソレの紹介です。

……いや、ようやく本題に辿り着きましたね。

その場所というのは、諏訪大社職舎のすぐ裏手、というか、崖の直下です。
諏訪大社職舎というのはですね……ええと、かつては「官舎」と呼ばれていた気がしますが、要するに、諏訪大社に赴任した神職のために用意された職員宿舎ですね。

宿舎といっても立派なお屋敷です。昔は植木に挟まれた石畳の奥に立派な木造の門がしっかりと扉を閉ざしていて、裏手の崖下から見上げると東屋らしきものが見えたりして、子供心にも神秘的に思えたものです。
……ま、その美しかったプロムナード部分も、いまはこんなですけど。

諏訪大社職舎入口

車を乗りいれることができないのが不便だったのでしょう。せっかくの広い敷地なんで、マイカーだって敷地内に駐車できるに越したことはないでしょうから。
いつだって、合理と利便性が文化を破壊します。と、嘆いてみてもはじまりません。

職舎の位置は秋宮から徒歩5分、武居祝の屋敷跡(それこそ、広大な敷地です)にほとんど隣接する地籍ですね。南側の直下は、今は亡き下社神宮寺の核心部分。というわけで、この諏訪大社職舎と神宮寺跡地に挟まれて、こんな知られざる古道があります。

古道1

……ちょっといいでしょ?
石垣と生垣に挟まれた、石畳の細道。写真上方から手前に向けて下ってくると、眼下に諏訪湖の眺望が広がってきます。
ちなみに、右に見える高い石垣の上が、職舎の敷地です。
そしてその先には、こんな風景が……。

物件周辺の風景

激しく音を立てて急流を成す汐(※注2)。柿の木なんか生えてて、右のほうには畑があります。風情がありますねえ。
と……おや? 柿の木の根元になんか……あと、登り坂の右手にも……?

天井石っぽいやつ

いかにもな平たい形をした巨石が……。

物件近くの巨石

こっちにも。

上から見たところ。

巨石俯瞰

巨石に加えて、ひと抱え級の石がごろごろと……。

ま、でもね、これだけならなんてことはありません。ムー的電波を受信しないよう日々心がけている私ですから、これだけのことで「古墳かも!」なんてことは言いませんよ。
でも、ね。
先の石畳と、この巨石までの距離がほんの数十メートル、その間の石垣にですね……ええと、これがその石垣の道なんですが……。

物件横の石垣

おや?

古墳もどき脇

こ、これは……。

正面から見てみましょう。

古墳もどき正面

…………。

いや……古墳に関する専門知識なんて全然ないんで、まったくわからないんですけどね。しかしこれ、横穴式石室……という規模はないにしても、横口式の石槨というか……そういう風に見えるというか、モロにそういう構造をしているというか……。

「これ」がなんなのかといえば、中央下にパイプが見えている通り、「湧水」です。かつては近隣住民の生活用水として重宝されていたようで、大正生まれの土地の古老(いや、私の身内ですが)によると、かつては神宮寺境内の湧水とペアで、金銘水、銀銘水とか呼ばれていたらしいです(どっちがどっちなのかはわからない)。

まあ……泉が湧く石室なんて聞いたこともないですよね。しかも左右に連なる石垣に穿たれた穴なんで、墳丘の存在は想定できません。
でもって、横穴の奥行きは大したことないです。

石槨?

2メートルはないかな? ま、奥が崩れてたとしたら関係ないんだけど。

でも……でも……なんでわざわざこんな構造に? だってね、生活用水としての湧水の注ぎ口として、この横穴、なんの必然性もないんですけど……。
古墳ではないにしても、こんな構造物を作った動機がわかりません。
識者の御意見を乞いたいところであります。

この項は、とりあえず以上でおしまいです。
また晩秋にでも、武居の古墳を探しに行って続編を書くかもしれません。


090707付記:
物件の上方、写真に見る汐の横の坂道を登ったあたりの空き家の庭に、もとは水を引いていたと思われる庭園の石組があり、そこには、建物及び庭の規模と比べて不自然なまでの立派な巨石がごろごろしています。
この地には、中世、神宮寺の院坊が建っていたと推定されるので、付近に転がっている巨石は、あるいはかつての院坊の庭園遺構と考えるのが妥当かもしれません。
もっとも……その時点ですでに崩れかけていた古墳の遺構を流用したという可能性もありますが。

ま、可能性って話なら、なんだって言えてしまいますね。



注1)
五官のうちでも、春宮周辺の東山田地域を拠点とする権祝、副祝の両山田氏だけは、少なくとも近世、春宮周辺に居を構えていました。それ以前から東山田にいた可能性もあります。

注2)
「汐」と書いて「せぎ」と読みます。この地域独特の言いまわし。本来は「堰」なんでしょうね、要するに農業用水の人工水路です。

090709付記注)
昭和52年発行、今井広亀著『下諏訪の歴史』によると、「諏訪の古墳は昭和二十七年の調査では100基となっているが、名ばかりが残っているのを加えると200基を越し、すでに名まで忘れられたものも多数あったことは想像にかたくない。」とのことです。
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