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【諏訪信仰覚書】前フリ

脳味噌からだらだらと否応なく洩れてくる妄想を少しずつでも書き記し始めようと思ったのですが、いや、困りました。
普通に書き始めてしまうと、デフォルトで諏訪信仰中級者以上限定な話になってしまいます。だけどブログ形式でやってるもんの最低限の矜持として、説明責任ってありますよねえ?
諏訪信仰について語る、その前提をね、多少なりともこのブログを気にかけていただける方々に対しては説明しなければいけない。んだけど……概要説明を真面目にしようとしただけで、なんか気が遠くなります。どうしよう。

もう、ね。諏訪信仰絡みだけは別口。わかる人だけわかって!っていうか、マニアックな検索ワードでたまたま引っかかった人だけ読んで!
という開き直りもアリかと思ったんですが……開き直りきれないなあ……。

考えあぐねた結果、まず、

「諏訪信仰のどこが重要でどこが問題なのか?」

という点に関してだけ、ごくごくおおざっぱにまとめておこうと思いました。
前提知識については、文句なしにここの「諏訪大社雑学」の項をおすすめしておきます。
リンク紹介でも書きましたが、web上における諏訪信仰研究の一大拠点といっても過言ではありません。諏訪大社オフィシャルページの一千倍くらい充実しています(まあ、オフィシャルの立場では言えないことが、浜の真砂ほどあるせいでもあるんですが)。

では、文章が長くなりがちなサガの私ですが、最大限がまんして行ってみます!

■御柱祭の謎
有名な御柱祭は、極めて古い神事の姿を留めているとされます。巨大な丸太を神殿の四隅に立てる意味、伊勢の柱立て神事との関連、出雲ほか巨大掘立柱との関連、ネパール奥地にそっくりな祭がある、等々、さまざまな視点から熱い視線を集めています。
でも、このブログではそれほど熱心には触れないかもしれません。

■二社四宮という特殊形態
諏訪湖の南側に本宮、前宮からなる上社、北側に秋宮、春宮からなる下社。この二社四宮をもって、総体を諏訪大社と呼びます。
ただし上記の体制が整ったのは明治のことで、上社と下社には中世までそれぞれ別の「大祝」(建御名方の子孫にして現人神でかつ諏訪の統治者で戦国時代には武将)がいて、それぞれ独立した活動をしていました。同じ諏訪社として共通の祭事をおこなっているかと思えば、それぞれ独自の祭祀も持ち、また激しく反目し合うこともあり、室町時代に至っては武将としての方針の違い等から両者の全面戦争が起こってしまい、下社の大祝家は滅ぼされてしまったのでした。両大祝の系図にしても相当に混合・混乱していて、同根とする解釈も有力です。
どういう関係だったのか、まったくもってわけがわかりません。
さらに、上社は上社、下社は下社で、それぞれの二宮の関係がまた謎だらけで(上社のほうが幾分明快です)、はっきりしたことが全然わかっていません。

■古事記と縁起で異なる建御名方像
古事記に出てくる建御名方は、国津神の親分であるオオクニヌシの息子で、天津神たちによる「国譲り」の提案に最後まで抵抗する役どころです。高天原の使者タケミカヅチの霊威に恐れをなして逃げ出し、諏訪で追い詰められて降参し、二度とここを出ないと約して服従を誓います。これをもって国譲りが完成をみます。
ま、情けない神様ですね。でも歴史的には、軍神として、風神として、全国的に大人気だったわけですから不思議なもんです。
いっぽう諏訪神社側の縁起書等での建御名方は、洩矢神が治める諏訪にやってきてこれを屈服させ、統治者として君臨、洩矢神の子孫が代々司祭を務めて諏訪の神に協力してきた、というものです。
また、先代旧事本紀ほかの伝承において、建御名方は、高志の沼河比売(古事記において、八千矛神≒オオクニヌシに求婚され受け入れた、という女神。その際の歌のやり取りで有名)の息子とされます。
いっぽうで、日本書紀には、母ともどもいっさい登場していないのです。
それぞれの伝承に潜む、それぞれの史書の編纂者たちの意図を考えなければ、もつれた糸は解けそうにありません。

■ミシャグジと神長官守矢氏
絶賛大流行中、大人気の神様とその司祭です。いまさら説明するのも面映ゆいので、注目ポイントだけ整理しておきます。
・一子相伝で秘儀を口伝する司祭の家系が、早ければ縄文時代、どんなに遅くとも古墳時代から、明治維新に至るまで続いていたという奇跡。そこには、奇跡ですますことのできない根拠があるはずです。
・その司祭は代々「ミシャグジ」という自然精霊を祀ってきましたが、大祝を奉じる形式が整って以降も、諏訪神社(現大社)はミシャグジの祭祀ばかりやっています。諏訪の民も、建御名方の神を奉じ、敬愛しながらも、民間信仰の具体的な内容はミシャグジを奉じるものばかり。建御名方の姿がちっとも見えてこないのが謎です。
・神長官が司る祭祀には古代の匂いが漂っています。たとえば、ミシャグジ/諏訪明神は蛇神信仰の気配が色濃く、出雲系の古信仰との関連がしばしば指摘されます。さらに、諏訪ではおどろおどろしい蛇体紋を有する独自の形式の縄文祭祀土器&土偶とその遺跡が、極めて多数、出土しているのです。そこにどのような関連性があるのか、あるいはないのか?
・ミシャグジを祀っていたと思われる祠は、諏訪を中心に、関東甲信越全体まで幅広く、数多く点在しています。東北のアラハバキ同様、中央が一貫して認知しようとしない土着神がそこまで幅広く信仰されていた背景はなんなのでしょう?
・ミシャグジの祠の多くは、陽根型の石棒(縄文時代の遺物であることもまれではない)を御神体として祀っています。それが塞の神、同祖神等の素朴な民間信仰と習合している気配が色濃いのですが、いったいなにを大元として、なにとなにがどう習合したのでしょう?

■下社と武居祝
上社における神長官の位置に、下社は「武居祝」という、これまた古き一族の最高神職を置いていました。地元の伝承では、洩矢神とともに建御名方を迎え撃ったいくつかの先住民一族のひとつとして語られています。
しかしなにぶんにも下社は一度完全に焼かれているため、重要な古文書がほとんど残っていません。ゆえに研究対象となりにくく、ゆえに注目度も低く、識者やマニアからは放置されがちなのが現状です。上社前宮と相似形の祭祀システムを今に遺す秋宮、神奈備→里宮という最古の信仰形態を直接的に感じさせてくれる春宮、そして両者の関係……実は、上社以上に謎に満ち満ちているのが下社なのです。

■諏訪と出雲と海人族と渡来人と
諏訪を掘っていると、否応なく東アジア全域レベルの古代史と無縁ではいられなくなってきます。
逆にいえば、古代史を掘り始めると、どうにも諏訪が無視できなくなってきます。
これ以上突っ込んだ話はここではしませんが……ま、そういうわけなんです。

……そんなところでしょうか。
諸々の問題に対してあれこれ思うところはあるのですが、素人の身勝手な妄想を妄想のまま垂れ流すのではなく、せめてご同輩の方々へのささやかな示唆くらいにはなるよう、できるだけ慎重な考察を心がけ、ボソボソとこぼしていこうかと思っています。
いっぽうで、誰にでも読んでいただけるフィールドワーク中心モノも諏訪信仰絡みでやっていくつもりなのですが、多少なりとも前提知識と興味のある方限定になってしまうであろうこうした考察系のシリーズを、【諏訪信仰覚書】と銘打つことにしました。



※090616:ちょっとだけ訂正、ついでに細部表現の加筆訂正も
御柱に似た祭があるのはチベットではなくネパールでした。ああ恥ずかしい。
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