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御子神十三柱の再確認 完結編

御子神独自分類の試み

【十三柱の全バリエーションに登場する神】

伊豆早雄命、須波若彦神、池生神、片倉辺命、蓼科神、八杵命、意岐萩命

これら七柱の神々は、諏訪御子神の中でもより普遍的に重視されてきた神々である。
と、とりあえずは判断することができるだろう。当然のことながら、諏訪周辺にそれなりに立派な拠点(真地とは限らない)を持つ(または持っていた)神がほとんどである。
だがしかし、この分類については、より多くのバリエーションを探し確認していかなければならない。少なくとも、あと2つ3つはバリエーションを拾える可能性があるので、個々の神の重要度や普遍性を探るのはそれからの話だろう。
なんとなく、ではあるが、彦神別がこぼれるラインナップがあったのは意外なことだった。


【諏訪圏内で現在も信仰されている神】

伊豆早雄命、蓼科神、垂姫神

まあ、「信仰されている」という表現は大げさというか、実情を鑑みて非常に微妙なものがあるので、「一般に忘れられていない神」とでもするのが妥当であろうか。
須波若彦などは習焼神社に祀られているという意味では「今も諏訪で信仰されている」と確かにいえるのだが、おそらく鎮座地の南真志野以外の一般住人でその名を耳にしたことのある人はほとんどいないだろう、という意味でここには入れていない。草奈井比賣や兒玉彦も同様である。
反対に、「蓼科神という名の諏訪御子神」を知る人はまれだろうが、伝説や地名等から、「蓼科山の女神さま」という漠然としたイメージは普遍的に共有されている(もっとも、御子神の蓼科神が本当に姫神なのかどうかは知らない)。同様に、御子神がどうとかは知らなくても、八ヶ岳山麓の景勝地である「多留姫の滝」に女神さまがいるらしいということも、わりと知られている。半世紀も前に潰れてしまったが、「樽姫」という銘柄の地酒が健在だったころはもっと知られていたはずだ。

たるひめちゃん
「多留姫文学自然の里」マスコットキャラクター
著作権ヤバイかな~(笑)


まあこれらは観音さまみたいなもので、わりとミーハーなアイコンを連想しやすいがゆえ、現代人のアンテナに引っかかっているというだけの話かもしれない。
いっぽう、伊豆早雄命(諏訪では「出早雄」表記が一般的)は、間違いなく諏訪でもっとも有名な御子神である。岡谷市に大きな神社があり、紅葉の名所としても広く知られているがゆえであろう。また、本宮入口の門番神として、上社側の氏子にも知られている。ただ、諏訪の外にもこの神様を祀った立派な神社が二つならずあるという事実を知っている諏訪人は、滅多にいない。また、小萩神社が健在だった時代(昭和30年代初頭まで)は小萩命(意岐萩命)も同様に記憶されていたかもしれないが、現在、「出早雄小萩神社」と号した「小萩」の部分を気に留める人も、これまた滅多にいない。
付け加えると、御子神では全然ないが、手長さま足長さまは、デエラボッチとの重ね絵としての性質も含め、とてもよく知られている。


【自然神としての性格が強い神】

池生神、蓼科神、垂姫神、大橡神、兒玉彦命

池生神については、直近であれこれ語っているので仔細は省略。氏神属性も濃厚に感じさせはするものの、基本的に水神だということである。
蓼科神と垂姫神については、先の項で触れてしまった。それぞれ、特定の山、特定の滝を根拠とする自然信仰が原型である。そういう意味では、御子神といっても建御名方なんかより遥かに古い神である可能性が高い。結果的にこの二柱は、出自が諏訪だということがはっきりしている特例的な御子神でもある。まあ、蓼科神に関しては、山の反対側、佐久の側にも出自がありそうで、また北信で祀られていたりもして氏神的な性格も窺えるのだが。
大橡神は現状行方不明の神なのだが、諏訪市四賀に、かつて「橡(トチノキ)さま」と呼ばれる巨木と小祠があったらしい。いずれ湛木の名残のひとつでもあるのだろうが、これを氏神としていた古族がいたのかもしれない。山や川や岩なら半永久的に受け継がれていくが、巨木信仰となると、その木が枯れた時点で消滅する場合も多い(ひこばえ等で受け継がれる場合も、もちろんある)。
兒玉彦命の場合、その「岩の神」としての性質が濃厚である。諏訪市大和と湯の脇の境付近にある児玉石神社の主祭神で、ここの境内には巨大な磐座がごろごろといくつも並んでいる。上社の聖地、小袋石の脇の小祠に祀られているのは「興玉命」で、これは同神と考えていいように思う。また、かつて諏訪社では、分霊の際に「児玉石」という神宝を分け与える習慣もあったらしい(武石村子檀嶺神社の社伝。有名な玉依比賣命神社の児玉石も類例であろう)。そこに感じられるのは、「増殖する石、豊穣・生産の岩」といった神格である。が、その一方で、神長官系図には、かなり人間臭い存在として刻まれている。
伊豆速雄命も「いづ」の音から水神説があるが、それが本来であったとしても、そうした性質はあまり明確に伝えられておらず、人格神としての性格が色濃くなっている。

【地名関連の神名を持つ神】

妻科比賣命(長野市妻科)
片倉邊命(高遠町藤澤字片倉)
内縣神/外縣神/大縣神(諏訪祭政体の行政区分)
高志奈男神(岐阜県揖斐郡の高科か?「こし」と読んだ可能性もあるが…)
神坂雄神(飯塚久敏は佐久説だが、阿智村神坂峠のほうが必然性を感じる)
愛遲子神(も、もしかして「エチゴ」って読むのか?)
高石姫神(武石村説が散見される)
倉稲主神(千曲市倉科か?)
宇惠春神(茅野市上原、または上原氏関係……だろうか?)

地名由来の神名なのか、神名由来の地名なのかは永遠の謎であって、結論は出ない。氏族名と地名も古代に至っては同様である。ただ、中には、強引さが感じられるというか、そういう意味でなんとなくインチキ臭いやつもいる。
国家神道の影響下で社名を改めた神社なんか典型的なのだが、古色を演出して箔をつけたかったのかなんなのか、ただの地名にわざとややこしい漢字を宛てている例が多く見受けられる。ま、具体例を出すことは避けておくが、あのセンスを見ると、「ああなるほど、国学的センスというやつは、右翼経由で暴走族が受け継いだんだね」ということがよくわかる。夜露死苦神社! 尊皇Joey!
ま、歴史的視点から憶測するなら、ある地域が諏訪祭政体の支配下に入った際、そこの産土社に諏訪神を(つまり施政者としての神官も)送り込んだ上で、地名を冠した御子神を古来からの神としてデッチ上げる、なんて操作をやっていたのかもしれない。

【血統や親等関係に疑問のある神】

守達神
式内・守田神社の論社が水内のみに3社、うち1社がはっきりと守達神を祀っていることから、水内を拠点とする神であると見ていいだろう。しかし、その娘の美都多麻比賣が上社古族の守矢家に輿入れしているのはいったいどうしたことなのか。しかもその旦那は建御名方血筋の兒玉彦である。……とまあ、神様の系図を人間の系図のように読み解こうとしても詮無いのだが、少なくとも、なんらかの勢力関係の反映をそこから読み取ることはできるのではないかと思う。だいたい、「守宅神」というのは「もりや」とも読めるし、「もりた…」に通じる音でもある。守宅神と守達神って(ひょっとしたら洩矢神も)、もともと同神なんじゃねえの? といった疑念も生じてこようというものだ。
ちなみにこのあたりの関係は、有坂理紗子氏(この回で紹介)にご教示いただいた、善光寺齋藤神主家の伝承との関連も感じさせる。善光寺周辺で諏訪神を奉じる一族に「ぼくら金刺じゃなくて守矢なんだよ」といわれるといかにも唐突に聞こえるが、「もともと水内に拠点を置いていた国造一族ではなく、諏訪からやってきた諏訪ネイティブの一族が善光寺まわりで諏訪祭祀を始めた(それも、金刺との類縁で水内に進出した?)」という表現をするのなら、それはそれで十分に筋が通る。ただし、守矢一族と武居一族が同族という大胆な仮説を前提にしなければならない。
いつ、誰が、どっちからどっちへ行ったのか? それも何度も繰り返されている? というあたりが、善光寺と諏訪との関係の難しさである。ただ、このお戒壇のごとき真っ暗闇の迷宮の中の微かな灯りのひとつとして、守達神は輝いてくれるように思う。

都麻屋美豆姫命
単純に、美都多麻姫神と名前が似すぎてやしないか? という疑問である。また、「水」とか「玉」とか出てきて姫神となると、諏訪信仰周辺でうろうろしている安曇神(ていうか住吉神だが)、玉依比売命のことを思い出さずにはおれない。玉依比売には一般名詞説があり、また明らかな同名異神も存在するようなので、諏訪にもまた「別の玉依比売」がいたのかもしれない。

垂姫神
建御名方の御子神とされるいっぽうで、神長官系図では洩矢神の御子、守宅神の妹としている。山浦地方の中心にある多留姫の滝が真地であることに疑いはないわけで、だとしたら……たとえば、古代の諏訪で極めて有力だった山浦古族に対し、金刺勢力と守矢勢力との間で綱引きがあった、なんて読み方もできるだろう。……ま、あくまでもたとえばの話。

八縣宿禰
難解な神である。なにしろ別名が多い。佐久新海三社神社の社伝では、興波岐命、六老彦神、御佐久地神、そして八縣宿禰は同神とされる。
武居祝系図と諏訪旧蹟誌神系略図において、八縣宿禰は伊豆速雄の御子。いっぽう、諏訪旧蹟誌神系略図には興波岐命も同時に登場しており、こちらは建御名方の御子である。興波岐命は、御子神十三柱にももれなく参加している。
未だおぼろげなビジョンしか得られていないが、この神の正体に迫るためには、群馬、山梨、静岡、さらには畿内にまで足を伸ばす必要があるようだ。その筋道でピンと来る人もいるかもしれないが、ヤマトタケル伝承との関連も(武居祝絡みで、つまり後世の付会である可能性も当然踏まえて)疑っている。

というわけで、若宮の考察でも書いたように、御子神といっても現実に親神の直接の子、生物学的な親子であるか否かというのは、この際まったく問題ではない。オオクニヌシという名の人間が実際にいて、本当に何十人もの子をもうけたと考える酔狂な研究者はまずいないだろう。
だが、神話を構成する上で、矛盾が出てしまうのはいただけない。というのは建前で、個人的にはそういう部分こそが面白くてたまらないわけである。

しかしまあ、文献だ。
そもそも御子神十三柱という概念が登場する古文献にいまだ出会えていないのはどうしたものか。
今回何度も引いている「諏訪旧蹟誌」にしても、御子神オールスターズは出ているのだが、十三柱というカテゴリーには特に触れられていない。
当面、その根拠を十五社神社とその成立時期等に求めるしかなく(いや、せっせと文献を通読するのが本当は最優先なのだが)、そんなわけで十五社神社の実態の見極めが急務になってきたのであった。

(御子神十三柱の再確認シリーズ・了)
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御子神十三柱の再確認 その3

由緒正しい御子神たち

まずは過去の文献に倣って、「延喜式神名帳」及び「三代実録」にその名が記載された諏訪御子神を挙げておこうと思う。ここで挙げられる神々は、いわゆる国史によって、平安時代前期までの段階でその存在を保障される由緒正しい神ということだ。
俗っぽくいえば、格の高い神々である。

ただ、注意しなければならないのは、古代から信仰されていた神だとしても、その時点で諏訪の御子神、もしくは諏訪系列の神と看做されていたかどうかは、まったくの別問題だということだ。
以前から書いている通り、私の考えでは、それぞれの神がもともと諏訪に出自を持つとは限らないので……いや、むしろ、諏訪に出自を持つ神のほうが特例というくらいの話なので……だから、いつの段階で、誰の(どこの)神が、どういった事情によって諏訪御子神に組み込まれたのか? それを知ることこそが究極なのである。
むろん、それを真実として突き止めることはまず不可能なのだが、「蓋然性の高い推論」くらいまでもっていけるのであれば、それはもう望外の喜びといえる。

ところで、今までなんの断りもなく専門用語を使ってきたが、いちおう解説しておくことにしよう。釈迦に説法な方々には申し訳ない。
一般に「延喜式」に記載された神社を「式内社」、延喜式には見られないが「三代実録」等に見られる神を祀っていたと思われる神社を「国史現在(見在)社」、または「式外社」などと呼ぶ。現存する神社へと比定する際に候補が複数見出せる場合、それぞれを「論社」と呼ぶ。

表現がややこしくて申し訳ないのだが、それは、「延喜式」では神社名、「三代実録」では神名しかそれぞれ挙げていないためである。よって、国史が示す神社とその祭神との照応や特定が困難な場合が、多々ある。
また、「延喜式」では郡まではっきり特定されているいっぽうで、「三代実録」では「信濃國」というところまでしか特定できない。なんとももどかしいところである。
「神社ではなく神に階位を与えているのだから、神社を特定する必要はないのではないか」という見方も建前としてできなくもないのだが、複数の國にまたがって多数の神社で祀られている神などいくらでもいるわけで、その点から考えると、この時代、いずれかの場所(神社)がその神の真地、本家と特定されていたと考えざるをえない。國別の但し書きを伴う以上、全国に散らばった分社末社ひっくるめ、抽象的存在としての神それ自体に階位を与えている、という解釈はできないのだ。

そもそも、「分祀」という方法が広く認められ、各地で実行されるようになったのはいつのことなのだろうか。今日の状況を見ても、本家以外で有名神を祀っていて、しかも上古以前まで遡れそうな古社の場合、もともとは名もなき地主神を祀っていた痕跡が残されている例が非常に多い。
たとえば信濃國の式内古社でも、現在、大己貴命や八幡神、住吉神等を祀っている社は数多くある。しかし、それらの神が三代実録「信濃國」の条で階位を受けた記事を見出せるのかといえば、当然、それはないわけだ。
延喜式の神社は神社、三代実録の神は神としてまったく別に理解した上で、また次の段階の作業としてそれぞれの照応を進めなければならない。
というわけで、「延喜式」と「三代実録」を分けた形でリストアップすることにしよう。


【延喜式記載神社】

頤氣神社
 関連御子神:池生神
 論社:長野市内の西寺尾、小島田にそれぞれ同名社
 現在の祭神
  西寺尾:池生神 配祀・建御名方命、事代主命
  小島田:頤氣神
 ひとこと:詳細は過去の踏査報告参照。

武水別神社
 関連御子神:別水彦神
 論社:桶知大神社など(ただし、武水別神社が圧倒的優位)
 現在の祭神:武水別大神 配祀・八幡三神
 ひとこと:神名からの連想で挙げたまでのことで、関連の根拠は薄い。

妻科神社
 論社:(なし)
 関連御子神:妻科比賣命
 現在の祭神:八坂刀賣命 配祀・健御名方命、彦神別命
 コメント:三代実録における神名は「妻科地神」と「妻科神」、2種の表記がある。

守田神社
 関連御子神:守達神
 論社:長野市の七二会と穂保に守田神社、市街地に守田廻神社
 現在の祭神
  七二会:守達神、大碓命、久延毘古命、大物主命、健御名方命ほか2柱
  穂保:大碓命、大己貴命、大山咋命
  守田廻:誉田別命、建御名方命、保食神
 コメント:論社争いが激しかった。守田廻神社本殿は、元・善光寺年神堂。

健御名方富命彦神別神社
 関連御子神:建御名方彦神別命
 論社:長野市城山、飯山市、信州新町にそれぞれ同名社
 現在の祭神
  城山:健御名方富命
  飯山市:健御名方富命 配祀・馬背神ほか六柱(彦神別の御子神たち)
  信州新町:彦神別命、健御名方命、八坂戸賣命、神八井耳命
 ひとこと:同じ延喜式における本家・諏訪神社の表記は「南方刀美神社」である。

高杜神社
 関連御子神:高杜神
 論社:中野市、高山村にそれぞれ同名社
 現在の祭神
  中野市:少那彦名之命 配祀・大國主之命、健御名方之命
  高山村:健御名方命、高毛利神、豊受姫命、武甕槌命、市杵嶋姫命
 ひとこと:中野市の鎮座地は「赤岩」、高山村は隣接する地域が「赤和」と共通する。

子檀嶺神社
 関連御子神:高石姫神、倉稲主神
 論社:青木村、武石村にそれぞれ同名社
 現在の祭神
  青木村:木俣神、健御名方富神
  武石村:健御名方刀美命、倉稻魂命、八坂刀賣命
 ひとこと:御子神の倉稲主神は「くらしなぬし」と読む。それが、超有名神である
  「倉稲魂命/ウカノミタマ」へと誤読・転訛したのではないか、という純粋な憶測。
  ま、諏訪神を祀る倉科神社との縁を考えるほうが筋かもしれないが。
  武石村と高石姫を結びつける説は、「諏訪旧蹟誌」で飯塚久敏が触れている。

須波若御子神社(遠江國式内社)
 関連御子神:須波若彦神
 論社:静岡県磐田市の淡海國玉神社に合祀され、境内摂社として現存。
 現在の祭神:須波若御子神
 ひとこと:諏訪では習焼神社の主祭神で、遠江との縁故を物語る伝承も残っている。


【三代実録記載神】

妻科地神/妻科神
 妻科神社を指すことは間違いないだろうが、イコール妻科比賣と断言しきれないのが辛いところ。

宇達神/安達神
 いずれも守達神の誤記説がある。要は式内・守田神社? だが宇達神社も長野市内に現存するのだ。

池生神
 神名は問題なし。ただし論社の絞込みは、当ブログ直近記事に見るようにかなり困難である。

出速雄命
 論社それぞれ決め手に欠け、これまた絞込みは非常に困難。

馬背神
 従三位にまで達した、御子神孫神中の出世頭。小県の馬背神社東西宮が最有力である。※1

八縣宿禰
 佐久新海三社神社には興波岐の別名とする伝承がある。それ以外の情報は極少。

會津比賣神
 會津比賣神社で確定としてよさそう。同社には、建五百建の妻とする非常に興味深い伝承がある。

草奈井比賣神
 諏訪市北真志野、蓼宮神社の祭神。ほかには小野神社付近の小祠に祀られている程度。※2

蓼科神
 蓼科山信仰が原型であることは確かなのだろう。しかし、立科町の蓼科神社に特定していいかどうかは微妙。

八櫛神
 長野市の八櫛神社くらいしか候補がない。神仏習合の形を遺す、別名「ぶらんど薬師」。

※1 その後、山ノ内町、字「夜間瀬/よませ」に馬脊社を発見。ただし祭神はスサノオ。
※2 筑北村の味酒部神社に比定するのは『東筑摩郡誌』の憶測に基づくであろう誤情報。



……と、以上は前提としてざっとまとめるだけのつもりだったのだが……結果、大仕事になってしまった。

当ブログ独自分類の試みは、想定外の4回目にて!

御子神十三柱の再確認 その2

十三柱のバリエーション総覧

『土俗より見た信濃小社考』という本がある。在野の研究者である小口伊乙という人の著作だが、この書の中の「十五社明神」という項目が、おそらくは諏訪の十五社神社に関するまとまった考察のテキストとしては唯一のものではないかと思われる(むろん浅学ゆえ、他のテキストがあるようなら是非ともご教示願いたい)。
郷土史家らしく、それなりに独創的な持論を持つ人なので扱いに注意を要する面はあるが、タイトル通りに民俗学的視点でのフィールドワーク記録として見れば、第一級の資料といえる。現地をひとつひとつ訪ね、関係者の話もたんねんに聞き取っている。貴重である。
まったく……たかだか30~40年ばかり前の踏査記録が極めて貴重に感じられるのが、まさに民俗学たるところなのだが。

さて、この「十五社明神」の項目から、各社氏子への聞き取りを前提とした十三柱のバリエーションを拾い出すことができる。

【岡屋十五社】
彦神別命、出早雄命、意岐萩命、諏訪若彦命、守達神、池生神、蓼科神、片倉辺神、大県神、内県神、外県神、八杵命、高杜神

【新倉十五社】
伊豆速雄命、多津若姫命、多留姫命、建志名命、妻科姫命、池主命、都麻屋美豆姫命、八杵命、洲羽若彦命、御倉辺命、興波岐命、別水彦命、高杜命

岡谷の他の2社についても著者は確認しているようなのだが、残念ながらそこまでは具体的に記述されていない。ただ、論の展開上、「2社とも7番目に蓼科神がいる」旨のみ、明記されていた。
あー……今、改めて読んでいて気付いたのだが、茅野市宮川に、私の把握していない十五社がもう1社、存在するようである。これは追って確認したい。
(「神宮寺の床屋さん」なら即座に教えてくれそうな気がする…と、独り言)

それから、『豊平村誌』には古田十五社における十三柱が記されている。

【古田十五社】
洲羽若彦、彦神別、片倉辺、八杵、高杜、伊豆速雄、建志名、興波岐、池生、恵奈武耳、妻科媛、別水彦、守達

これは走り書きのメモから起こしたため、「命」と「神」の区別を失念してしまった。が、順序はあっているはずだ。なんにせよ、追って確認したら書き直しておくこととする。

以上、オフィシャルのラインナップを加えると、4つのバリエーションを拾うことができた。文字表記の違いについては江戸時代以前の感覚では取るに足らないことだが、「命」と「神」の尊称の使い分けに齟齬が見られる点は興味深い。それ以前に、想像を遥かに超えるだけの大きな違いに改めて驚かされた。

また、宮坂喜十『諏訪大神の信仰』によれば、「御子は史書によって十三柱・十九柱・二十一柱などと諸説がある。」とのことなのだが、この「諸説」の載った「史書」を個人的に未だ見出せていないのがなんとももどかしい。
それが最初に挙げた問題点の3と4なわけだが……かように文献に弱いのである。ま、おそらくは、既知の文献の未読部分にあっさり載っていたりするのではないかと思うのだが。

ともあれ、十三柱の内容が一定しない以上、「十三柱」というくくりとは無関係に、知りうる限りの全諏訪御子神のリストを挙げておく必要性も感じるわけだ。たとえばの話、「オフィシャルにいないから高杜と守達は無視ね」というわけには、まったくいかないのである。

さてそこで。以前にも触れたことがあるが、前宮の境内摂社「若御子社」には、二十二柱の神々が合祀されている。以下は『平成祭礼データ』によるが……実は持っていない。これはなんとしても手に入れておきたいのだが。
というわけで、今回は「神奈備/kam-navi」さんのお世話になった。

【前宮若御子社】
建御名方彦神別命、伊豆早雄命、妻科比賣命、守達神、池生神、須波若彦神、片倉邊命、蓼科神、八杵命、内縣神、外縣神、大縣神、惠奈武耳命、高杜神、意岐萩命、妻岐萩命、都麻耶美豆比賣命、奧津石建神、多都若比賣神、垂比賣神、竟富角神、大橡神

続いて、出典不明ながら、先述『諏訪大神の信仰』からは、以上の二十二柱からさえも漏れている神の名がいくつか拾い出せる。

【『諏訪大神の信仰』より、その他の御子神】
八重隈根命、殖春神、雛若姫命

そして最後に、現時点で私が認識している範囲内でもっとも詳細な御子神データを参照することにしよう。飯塚久敏(江戸末期の国学者)の「諏訪旧蹟誌」に載っている「神系略図」である。
著者がいうには、これは下社の系図から引用しているとのこと。現存する武居祝系図の神代部分は相当にいい加減なもので似ても似つかないので、つまり、江戸末期の段階では下社に神代を含む詳細な系図が残されていた、ということになる。上社の系図は、有員以前には最初から触れたがらないため、神代の系図資料は逆に貧弱である。ゆえに、この飯塚久敏が参照した下社系図は非常に貴重な資料であり、また、今なお出現の可能性を期待できる古文書なのではないだろうか。

さて、その内容だが、まず最初に建御名方の御子神として、前宮若御子社の二十二柱に非常に近いラインナップが挙げられている。よって、江戸末期~明治期にかけ、この資料を参照して若神子社の祭神を定めた可能性もいちおう考えられる。が、表記のみならず一致しない点がいくつか拾い出せるので、より古い別の典拠がある可能性のほうが高いだろう。
この差異についても、ひと通り洗い出しておくことにしよう。

まず、彦神別から意岐萩までの十五柱については、順序も含めて一致している。ただ、表記の違いはいくつかある。以下、比較の順序は、前者が「若御子社祭神」、後者が「諏訪旧蹟誌神系略図」とする。
・建御名方彦神別命 → 建御名方彦神別命 亦名彦神別命
・伊豆早雄命 → 出早雄命 亦名出早神
・妻科比賣命 → 妻科姫命
・池生神 → 池生命
・須波若彦神 → 須波若彦命
・「旧蹟誌」には、内縣神、外縣神、大縣神の後に「以上三神流鏑馬之祖神也」と注記

十六柱めからは、神名そのものに齟齬が出てくる。

・「旧蹟誌」には妻岐萩命が出てこない。代わりに、若御子社にはいない別水彦神が入る。
・都麻耶美豆比賣命 → 妻屋美豆姫神
・多都若比賣神 → 鶴若姫神 (※同神かどうかは微妙なところ)
・垂比賣神 → 垂姫神

以上である。

さて、続く「旧蹟誌」の記述だが、以降は御子神の御子神、すなわち建御名方の孫神が挙げられてゆく。そこまではとても追いきれないのだが……中には「馬背神」など、明らかに重要な神が何柱か含まれているので、これもとりあえずのリスト化だけはしておくことにしよう。後の自分のためにも。

【彦神別命の御子神】
庭津女神、馬背神、八須良雄神、武彦根神、知弩神、佐那都良姫神

【出速雄命(表記、旧蹟誌のママ)の御子神】
八縣宿禰命(亦名佐和惠多良六老彦神)、出速姫神(亦名會津比賣命)、草奈井姫神、可毛神、若木姫神

【守達神の御子神】
高志奈男神、美都玉姫神

【池生命の御子神】
神坂雄神、愛遲子神、池若御子神、底多久神、高石姫神

【八杵命の御子神】
久留須神、比良父神、八立神、倉稲主神

【恵奈武耳命の御子神】
宇惠春神、茨田神、菅根神

以上である。
余談もいいところだが、美都玉姫神の名を見ると、反射的に草間彌生を想起してしまうのは私だけだろうか。つーかそれ以前に、美都玉姫神の名を日常的に目にするような機会があるのは私だけだろうか。という話なのだが。

最後に、諏訪御子神に類する存在として、もう1カテゴリーだけ追加しておこう。
各神の位置づけや注記も整理して添えておく。

【神長官系図における御子神的な神々】
・守宅神(洩矢神の御子。神長官系図では、その妹を多留姫命としている)
・千鹿頭神(守宅神の御子)
・兒玉彦命(片倉邊命の御子。美都多麻比賣神を娶って千鹿頭の跡を継いだとする)
・八櫛神(兒玉彦命の御子。すなわち、建御名方のひ孫)

以下、もう数代にわたって神様っぽい名前が続くが、とりあえずここまでにしておこう。

リストはこれですべてである。ふう。

ここまで見てくると、十三というのがなんらかの意味での吉数であり、そこに当てはめているだけの話であろうことが明白になってくる。とはいえ、公式見解としての御子神十三柱の定義は、「御子神の中でも、国土開発に特に功のあった神々」ということになっている。そこで、重要度によってランク分けがなされているという事実を見逃すわけにはいかないだろう。国土開発云々を歴史的解釈で言い換えるなら、「諏訪祭政体への貢献度」ということになる。そこは当然、評価する者の立場、所属、出自等々によって変わってくるわけで、つまり十三柱のバリエーションから、神々の出自をその痕跡だけでも辿ることのできる筋道が、微かながらも見えてくるわけである。

ともあれ、十三柱という枠組みの意味が曖昧化してしまった以上、その「重要度」の比較によって、御子神たちをまた違った視点から分類してみる必要があるように思う。でないと、とっ散らかりすぎていて、なにがなんだか全然わからないからである。

というわけで、この項はもう1回だけ引っ張っておくことにしよう。

御子神十三柱の再確認

「十三柱」とはなんなのか?

前回予告した通り、今回は「御子神十三柱」の再検証をしておきたい。
調査を進めるにつれ問題になってきたのは、以下のような点である。

1.十三柱のラインナップにはいくつかのバリエーションがある。
2.「十五社神社」の全体像を把握する必要が生じてきた。
3.そもそも、十三柱の根拠となるべき文献に出会えていない。
4.ここで扱う神々を、諏訪の御子神と定義する根拠についても同様。


この問題点に沿って検証を進めていきたいが、その前に、前回、由緒書看板の写真だけを紹介した「諏訪大社公式見解における御子神十三柱」を再確認しておきたい。

建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけのみこと)
伊豆早雄命(いづはやおのみこと)
妻科比賣命(つましなひめのみこと)
池生神(いけのおのかみ)
須波若彦神(すわわかひこのかみ)
片倉辺命(かたくらべのみこと)
蓼科神(たてしなのかみ)
八杵命(やきねのみこと)
内県神(うちあがたのかみ)
外県神(そとあがたのかみ)
大県神(おほあがたのかみ)
意岐萩命(おきはぎのみこと)
妻岐萩命(つまきはぎのみこと)


十三柱選定のバリエーション、表記の違い、読みの違いなどさまざまあるわけだが、そんな中で、今後はこれをとりあえずの「標準」とした上で、さまざまな差異を検討していくことにしようと思う。

さて、各論に入る前にもうひとつ、話の中で前提になってくる「十五社神社」について、ざっと説明しておきたい。
十五社神社の名を持つ神社は、まず、現在の自治体区分における諏訪地区の中に、9社ほど確認することができる。諏訪においては、「建御名方、八坂刀賣、御子神十三柱」を祀るというのがその本義で、合わせて十五社という意味である。十三柱の内訳まで伝承されている神社もあれば、御子神については(おそらく)忘れられてしまい、「建御名方、八坂刀賣」の二柱だけを祭神としているところもある。
以下、諏訪における十五社神社の内訳を挙げつつ、字名に応じて各十五社神社に仮の識別名を与えていくことにしたい。

まず、岡屋十五社、間下十五社、今井十五社、新倉十五社と、岡谷市に4社。続いて茅野市に、米沢十五社、古田十五社、御作田十五社、大日影十五社と、これも4社。残る1社はやや離れた富士見町に、上蔦木十五社がある。

この分布の偏りには注意が必要だろう。
岡谷市一帯は、のちに下社大祝となる金刺一族が郡司として最初に本拠を置いたであろうと考えられるあたりで、岡屋牧にも直結する場所。茅野市のほうは、地元では「山浦」と呼ばれる一帯で、こちらは対照的に上社古族側の最古級の心臓部である。
そのほかの場所、たとえば地主神の古社が立ち並ぶ西山一体や、山浦から山稜ひとつへだてた諏訪湖側、やはり土着の古社が立ち並ぶ諏訪市内にも十五社は見当たらない。また上社、下社とも、その境内地の付近にはなぜか見当たらない。
ただし、御子神十三柱を祀るとされる下諏訪町富部の若宮神社(『信州の神事』では祭神彦神別となっていたが、これは「二柱め以降省略」と考えるのが妥当なように思える)と、「建御名方、八坂刀賣、御子神十三柱」を祀るという岡谷市長地の神明社(なぜ?)も、リストに加えていいかもしれない。また、この若宮神社は秋宮の直近、下社の五官祝が住んだという伝承のある「五官」「本郷」「富部」といった地名を持つ古村の山際に鎮座しており、先のロケーション検証の中では例外的存在となる。

さて、諏訪地方の外にも十五社神社という名の神社は少なからず存在している。ただ、注意しなければならないのは、明治の合祀ほかさまざまな事情でいくつもの神社が合併している場合であろう。十五柱の神さえ祀っていればその内容はなんであれ「十五社神社」と名乗りうるわけで、三社神社とか、五社とか七社とか、四柱神社、八柱神社等々、ある種、一般名詞としての社名でもあるわけだ。実際、岐阜県や和歌山県の十五社神社など、諏訪との関係を想定するのは難しいだろう。
他所の十五社神社で標準的なパターンとしては、「天神七代、地神五代の十五座二十柱を祀る」とするもの。ただ、このラインナップはいかにも国学臭いというか吉田家臭いというか、とにかく近世臭しかしてこないので、古層のものではまったくありえない。もし古社であるのなら、例によって、無名な地主神たちが国学者や神祇庁の連中に抹殺された痕跡という可能性も考えられるだろう。

本ブログでいちおう検証範囲内としておきたいのは、松本市の中山で埴原神社に合祀されている十五社、旧三郷村小倉(現・安曇野市)の十五社、それから、山梨県の八ヶ岳南麓、長坂と須玉にそれぞれ鎮座している「十五所神社」である。その多くは「天神七代、地神五代」やそれに類する中央神のラインナップになっているのだが、いずれも諏訪信仰の影響が極めて濃厚な地なので、別系統が本来の姿と考えるほうが不自然である(各社への具体的な検討はまた機会を改めて)。

というわけで本論に入りたいのだが……すでに結構長いので、今日のところは「引き」ということにさせていただく。
まあ、さほどの間は空かない。はず。

というわけで、今後直近の流れとしては、十五社巡りレポートも差し挟んで行きたい。ここまでに挙げた検証対象の十五社……って、あれ? すげえ偶然だな。この場合、「15社」という表記で分けたほうがいいだろうよ。で、その15社のうち、行ったことがあるのはまだ半数ほど。実際に行ってみてナンボという基本姿勢を保ちつつ、引き続き話を進めていきたいと思う。

********

あ~、また書き忘れちゃった!
というわけで1時間後の追記。
天竜川が静岡県に出るあたり、今でも「霜月祭」をやっている古社のひとつが、十五社神社だったんでした。
ただし、祭神は諏訪御子神ではないらしい。
が、諏訪神楽の古層を残し、周辺にいくつかの諏訪神社、馬背神社、諏訪湖へと遡る龍神の伝承等々を残すこの地で「十五社」を名乗る以上、これも必然的に検証対象に加わってきます。
というわけで……追跡対象は16社になっちゃいました(笑)。

新年のあいさつとか

遅ればせながら……

あけましておめでとうございます。
なんとか松の内には一度更新を、と思っていたのですが、もはや小正月寸前です。

諏訪は冷えてます。
諏訪湖も全面結氷寸前までいったようです。ま、御神渡りにはまだまだですけどね。
御神渡りができるには、この状態から一度まとまった量の雪が降って、再度冷え込みが続かないといけません。
建御名方と八坂刀売はもちろんですが、諏訪信仰周辺をうろつく下照比売や高照比売、興波岐さんなんかも御神渡りができないと面目が立たないので、なんとか今年はきっちりと派手な割れ目を御開帳してもらいたいものです(げっひーん!)。

余談ついでに妄想レベルの自説をひとつ披露しておきます。お年賀代わりに。
……ならないね、お年賀には。そんなものは。

八坂刀売の奥様は建御名方の旦那様と喧嘩して下社へと移った。以降、冬になると旦那様が奥様のもとに通うのが御神渡りだというわけなのですが、なにもそんな厳寒期にデートしなくてもねえ。という点から察せられるのは、御神渡り神事も冬至祭の一種というか、生命力再生の祈りが込められた行事なのではないかと。御室神事研究家のTM師なんかは、御室に入るソソウ神が渡った徴だと考えてらっしゃるようです。
それはそれとしてもうひとつ思うのは、古族(最近、昭和三十年代くらいまでの論考に見られ現地人を意味する「土人」という言葉が気に入ってまして、本当は古族なんてスカシた表現でなくズバリ「土人」といいたいところなんですが)の祭祀である上社に対し、下社はヤマト勢力の手先が祀ったというのが定説なわけですが、その流れからするとヘンな伝承だぞと。
そこで考えたのは、上社から離反者が出て下社を祀ったのではないか(いち早く金刺に転んだと解釈するのもアリ)ということです。
それが武居祝の祖先なんじゃねえかなあ、とか妄想してるんですが。

この期に及んでという感じでひとつ宣言しておきますが、当ブログというか私の最終着地目標地点のひとつが、「武居祝」の正体に迫ることです。なんか……諏訪信仰とその周辺のことを知れば知るほど遠ざかるいっぽうですけどね。いや、そうでもないか。善光寺まわりからの搦め手はそれなりに進んでるかもしれません。ただ、どこからどうブログに記していけばいいのか、その点、途方に暮れています。

途方に暮れていても仕方がないので話を変えます。

初詣はしっかり行ってきました。下社秋宮と、上社本宮に。
マニアだったら逆だろう、前宮と春宮だろう、というツッコミもわからなくはないのですが、単純に家が秋宮の氏子なんでね。前宮は神官家の墓所なんだし(大胆説をさらっと)。あと春宮は、この時期お留守ってことになってるしね。
で、気付いたんですが(本当は去年のうちに気付いてましたが)、秋宮境内摂社の由緒書看板が新調されてましたよ。上社と違って下社の境内摂社には大したものがないんですが(国学の尻馬に乗って仇敵の鹿島まで祀っているていたらく)、若宮だけはもちろん別です。
そこに、はっきりとした字で改めて御子神十三柱が記されていたので、確認しておくことにします。
というのは、表記とか読み、さらには列せられる神にまでバリエーションが見られるので、現在の諏訪大社オフィシャル見解として、これを当ブログでも標準としておこうというわけです。

御子神公式リスト

基本的にはこれ、現代諏訪大社のオフィシャル文献である『諏訪大社復興記』の記述に基づいているものと思われます。二十二柱や孫神なんかも細かく記載されており、その中の十三柱に○印がつけてある形です。
……と、まあ、このあたりからライトなご挨拶の範疇では収まらなくなってますので……続きは項を改めることにします。
「御子神十三柱の再定義」みたいな感じで。
これは直近でやります。たぶん。

で、まあ、幾分ライトな感じを意識しつつ話題を選びますが、たまたま家にあった(昔、父が買ったのであろう)『信州の神事』という本を再発見しまして、これがとてつもなく役に立っています。
古い本じゃありません。平成2年刊です。
長野県神社庁監修で、長野県神社庁に属するすべての神社が祭神とともにリスト化されているのですよ!

もう大興奮!

誰もわかってくれないだろうけど……。

いや、ネット上にも長野県神社庁のサイトはあるんですが、このリストがねえ。祭神が載っていないというお粗末極まりないもので。たまに(本当にたまーに)やる気があってパソコンの使える神主さんがいると、その神社だけ、解説とか興味深い記述もあってある程度助けにはなってるんですが、それにしても……卑しくも神社を名乗る以上、祭神ってのは一番大事にすべきものじゃないんですかい? それとも、なにかい? ……って、やめておきましょう。まあいいです。この本がありますから。

この本にしても主祭神一柱しか書いてないのがほとんどで、資料として十分とは到底いい難いのですが、それでもなお、「まず祭神に注目する」という最近の私の手法が効力を持ち得るということを再認識させてはくれました。

以前にも書いた通り、神社の祭神というものは、文化レベル的には残念としかいいようのない明治政府によって、さんざんに引っ掻き回され、蹂躙されています。
しかし、それでもなお、残るものは残るんですね。いや、そこで個々の神社が強く主張した痕跡があれば、なおのこと注目に値します。むしろ目立つから。

そう、ズラズラと並ぶリストの大半は、超メジャーな神で占められています。長野県ですから圧倒的に多いのはもちろん建御名方ですが、出雲系の近親者やご先祖も同様に多いです(まあスサノオはたぶん牛頭天王由来が多いんだろうけど)。
それ以外だと、八幡系とか、稲荷系、山ノ神系もどっさり。猿田彦が多いのは道祖神やミシャグジと習合しているせいですが、國常立もかなり目立ちますね。これは、近世、諏訪神社が御射山の祭神を國常立と定めたせいで、まあ建御名方のバリエーション、もしくは山ノ神のバリエーション程度の意味に受け取っておいて問題ないでしょう。安曇近辺には綿津見一家もぼちぼちいますし、もちろんアマテラスさんとか天神様もいますよ。

そんな中で……ちゃんと見つかるもんですね、特異点が。
御子神十三柱のいずれかを単独で祀る未知の神社。
八坂刀売を単独で祀るいくつかの神社(これには驚きました!)。
建御名方のドッペルゲンガー、御穂須々美を祀る神社も少なからず。
瀬織津比売もけっこう目立ちました。不気味に。ま、水神としてはミズハノメが圧倒的多数ですけど。
あと天白系らしきやつもけっこういましたが、難しいので近寄りません。今のところは。

ともあれ、オレ的追跡リストに相当数の神社が加わったのでした。

で、灯台下暗し。
幼少時からよっく知っている「若宮」がわりと近所にありまして、境内地もなかなか大きく、立地的にも相当な古社であろうとは思っていたのですが、祭神については「どうせ御子神十三柱合祀だろ」と、正直タカをくくっていたのでした。じっさい、そういう記述も見たことあるし。

でも、この本によると、この若宮の祭神は、彦神別単独なんですよね……。

ま、「彦神別命(以下十二柱省略)」という可能性も十分に考えられるので、慎重に対処しなければなりませんが。
神主さんに面会申し込むしかないか……。

というわけで、妻科比売を祀った新発見の神社(HN師ご教示)とかもあることだし、当面の主題である池生シリーズもそれはそれとしてぼちぼち進めつつ、新年からは随時寄り道を差し挟んでいこうかと思っております。

今年もよろしく。

あ、今年は仏像ネタも少しはやりたいなあ……。
でも今夜は、一杯引っ掛けてサッカー見ます。
プロフィール

LooseFrog

Author:LooseFrog
基本的に怠惰で、社会人として問題の多い中年男です。
でも、興味の対象には嬉々として食いつきます。

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もちろん、助言や感想も歓迎いたします。

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P盲な私がいまさら細かいところいじるとワヤになりそうなので、ブラウザの拡大機能の使用を推奨いたします。

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