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【閑話】秘仏に関する覚書

「もったいない」の心

浅草から長野へと移動する前に、ちょろっと……。

「なんでわざわざ彫った仏像を秘仏になんかするんだろう?」
という疑問は、仏像好きなら誰でも抱いたことがあるのではないでしょうか。
彫像なんだから。もともと見られる目的で作られたものなんだから。

でも、たとえば西国三十三所の観音様はほとんどが秘仏だし(ただいま絶賛公開中!)、四国八十八ヶ所だって実見できる仏像のほうが少ないわけで。
あなたの街の近所にある無名なお寺にしても、たぶん……境内に立ち寄ったり、軽く参詣したことはあったとしても、御本尊を拝んだことは……ないんじゃないですか?
村(町でもいいけど)の観音堂や薬師堂を見つけたら、こっそり中を覗いてみてください。たぶん、扉の閉まった厨子が見えるばかりで、御本尊の姿が拝めることのほうがまれだと思います。

でも、多くの参詣者は、そんなこと全然気にしてません。

特に「観音」といえば、誰でも具体的にその姿をイメージできるくらい、メジャーで安定したヴィジョンが共有されています。だから、「観音を奉っている」と聞けば、「ああ、お堂の中には観音像があるんだな」ということが誰にでもわかって、かつ、具体的にイメージできるはずなんです。
にも関わらず、「××観音」等と呼ばれる人気の観音霊場の参詣者たちは、お堂の前でガランガランとやって、お賽銭入れて、手を合わせて、そんでおみくじ引いて御朱印かなんかもらって、そのまま満足そうに帰っていきます。観音像を直接拝まずともなんの不満も持たない。お堂の中を覗こうとすらしません。
それじゃ、神社にお参りするのとなんにも変りませんよね。祈りのポーズが違うってだけで。

で、「そこ」こそが、「習合」という方法論を持つ日本人ならではの信仰心なわけです。
それがいいんです。

個人的には、「秘仏」の重要な成立要因として、日本人ならではの「もったいない」感があるのではないかと思っています。
ま、根っ子を辿れば「神仏習合←アニミズム」って話で、定説通りなんだけど。

こう、ね、俗っぽい例だと、美人の奥さんを娶った男がだ、友人かなんかに、
「へー、ホントに綺麗な奥さんだなー」
なんかいわれて、ジロジロ見られた場合、
「あんまりじろじろ見るな!」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし」
「いいや、お前に見られると減る!」
みたいな会話が展開したります。

ベタかつ卑俗ですみません。

しかし、この「価値が減る」って感覚、あるんじゃないかなあ。たぶん日本人にしかない感覚。

まあ、この下世話な例の場合、独占欲といってしまえば元も子もないんですが、ただ、秘仏のもう一方での成立要因……密教の秘法でですね、歓喜天や准胝観音、荼枳尼天なんかが代表的ですが、秘法のマニュアルに「秘法本尊の他見を許さず」みたいなのってあるわけでしょ? この手は秘仏といっても、本尊に帰依している秘法の使い手(基本的にはその像を所有するお寺の住職さん)だけは拝むことができるわけです。
そこにねえ……いや、修業を積んだお坊さんに対してはなはだ失礼ではありますが、「自分だけが拝める」という独占欲的な悦びって……実は……ちょっとだけでも、あるんじゃないかな~、とか思うんですよね。俗人ならではのいやしい邪推かもしれませんけど。

ま、それはそれとして、「減る」に話を戻すと、実際問題として、「霊験が減る」というね。奉ってる側として、これは困りますよね。いろんな意味で。
いかな伝説の霊験仏でも、常に誰に対しても霊験をだだ漏れにさせてたら、やっぱ霊験が減る感じ……するでしょう? しますよね?
なんでそういう感じがするのかといえば、「彫像という物体に、魂が宿っている」というアニミスム的認識を、無意識のうちにみんなで共有しているからこそ、だと思うんですよ。

「宿っている」からこそ、おろそかに扱えば「抜けて」いってしまう感じがする。

偶像に対してこの感覚をあたりまえのように共有しているのは、やはり日本人だけでしょう。
だから、そういう観音様とか拝む時は、「(私なんかに霊験をわけていただいて)ああ、もったいないことだ」というわけです。

だからこそ、無闇に霊験を発散させず、厨子に込めて霊験エネルギーを蓄積させておくわけですね。
「使わない時はスイッチ切っとけ!」みたいな。
「ただいま充電中!」とか。

ひどい例だとお思いでしょうが、いや、でもね、この例の場合もエコとか電力の安定供給とかってのはしょせん理屈であって、各種エネルギーもやっぱり偉大な自然からわけていただくものですから。感覚的には、それこそ「もったいない」って感覚が本義だと思うんです。

もちろん、そういう感覚を完全に失ってしまった人も現代社会にはたくさんいて、そういう人にとっては、「お金がもったいない」以外に「もったいない」を説明できる理屈はないんでしょうけどね。
で、それが無宗教者の価値観なんだとしたら、「私は無宗教者です」と表明するのがなんだか恥ずかしく感じられる時代になってきたような気もします。日本でも。
だからといって、戦争のダイナモとしての本質を抱える一神教なんてもんはツバ吐きたいほど大大大嫌いだし、特定のナンカに属する気もないんですけどね。

いやあ、時代は「アニミスト」かなー!
大自然に対する敬意と尊重が生き物としての基本でしょう、やっぱ。

1500年遅れてるよね、今のニッポンって!

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リンク解説

付:ネットポリシー表明

リンクを貼らせていただいているサイトについて簡単にご紹介させていただきます。
また、追加があった場合、随時解説を追加する予定です。

なお、以下のサイトについては、一方的に、勝手にリンクを貼らせていただいています。
もちろん、取り下げの要請があった場合は即応いたします。

諏訪大社と御柱
八ヶ岳原人氏による、諏訪信仰のフィールドワーク集。ネットにおける諏訪信仰情報の大基本で、なお充実し続けています。知識量も研究の深さも並大抵ではないのですが、そこを強引に押し出さず、飄々とフィールドワーク本位に徹する姿勢が素晴らしいです。

神奈川仏教文化研究所
その名の通り、本来は神奈川の仏教文化財がテーマなのですが、全国を対象にした御開帳等の情報更新がもっとも頼りになります。また、個人的に重要なテーマである地方の古代仏に関する専門的な考察も非常に充実していて、思わず精読してしまいます。

minaga氏の「がらくた置場」
国内の卒塔婆/仏塔に関する、精力的なフィールドワークと資料収集の驚嘆すべき成果が、惜しげもなく公開されています。ひょんなことからかたじけなく御厚誼をいただいており、09年5月、当ブログスタート直後の時点で唯一の相互リンクとなっております。

「珍」の煮こごり
扱う範囲は広いですが、諏訪信仰関係や怪しげな神仏習合系等、当ブログの興味と被る部分が多いブログです。相当勉強してる感じなのに、軽く、面白おかしく、モンドのノリで、しかし時には叙情的にすら語ってしまう才能に憧れます。単純にファンです。

古墳横穴及同時代遺跡探訪記録帳
「古墳」をメインテーマに据えた、フィールドワーク・ブログです。個人的に古墳も大好きなのですが、マニアまでは全然いかないヌルいファンとして、もっとも読みやすくかつ参考にさせていただいているブログです。

神奈備にようこそ
古代史とその周辺に関して、とても参考になるサイトです。博覧強記と膨大な情報量。素朴な体裁で損をしている気もしますが、中身はめちゃくちゃ濃いです。あと、ここのBBSを見物するのが大好きです。いろんな意味で。

*****

以上、不遜ながら紹介させていただきました!

ついでに、リンクに対する考え方の表明をさせていただいておきます。
まあ……余談めいた範囲にまで話が膨み、かつ、多少角が立つかもしれませんが。

基本的に、ネット上でアクセス権の制限なく公開しているコンテンツに関しては、リンクはもちろんのこと、「引用元を明記したうえでの著作憲法上の引用」は開放されているものと解釈しますし、そうあるべきだと考えております。それがインターネットならではの本質かつ長所のひとつだからです。
ましてブログというのは、そういったシステムに対してより積極的なシステムです。ゆえに、このブログの記事の扱いに関しても、わたしは同様の立場を採ります。

リンクフリー、引用フリー。

ただし、匿名(連絡先、またはネット上のアイデンティファイを明らかにしない、つまり発言に責任を持たない立場のこと)のリンク者、引用者に関しては、これを好みません。
好みませんが、拒む権利がないことも承知しています。

個人的には、戸籍=IDによってのみ、ネットアクセスできるシステムが望ましいと考えています。
(無論、各サイト内、各BBS内個々での匿名は、現状のままでよいと思います)
「管理されるのはイヤだ」という反発もわかりますし、私自身、本来は青臭いほど反体制体質の人間なのですが、身の危険を感じる無法地帯はもっと嫌です。

匿名によるネットアクセスは、もはや「闇ケータイ」や「架空名義口座」と等質なものになりつつあるのではないでしょうか。

とはいえ、そうしたレベルでの闇の部分は、どうやったって消えはしないでしょう。それを公の立場で肯定も否定もしませんが(あるものはあるってだけなので)、ただ、アングラにはアングラなりの覚悟があってこその本物、だとは思います。

以上、本筋から大いに外れましたが、スタンスの表明でした。

絶対秘仏萌え! その5

謎の浅草寺本尊 完結編

いきなり、ドーン!

観音御影

外陣からデジカメの望遠を最大にして撮った写真を、さらにフォトショで調整してみました。
コントラスト……明度……ついでにシャープもかけて、と。

……ま、こんなもんが限界ですよ。
ピンボケ、光度不足、手ブレの三重苦。
ちなみに、この写真は叱られたら引き下げます。あらかじめごめんなさい。
でも、いいよね、こんなダメダメ写真なら。まさに「御影」って感じじゃん。
みなさん、せめて拝んでやってくださいね。

ねんぴーかんのんりきー!

実見の記憶もおぼろげなので、この画像を土台にして、素人マニアなりにあれこれ考察を加えてみます。

えーと……けっこう、抑揚に富んだフォルムですよね。ポーズもくねっていて艶やか。そういう意味で、平安初期っぽくはないです。特に、足先がすぼまっている感じがなあ。これで堂々と両の足を広げ踏みしめていれば、もうちょっと古い感じもするんだけど……。フォルムの印象だけだと、鎌倉後期って雰囲気です。や、テキトー言ってますが。

しかし、前回述べたように、もしこれがオリジナル本尊のイメージにある程度忠実な像なのだとしたら、サイズと材質、尊形から見て……さらに本尊が古代仏だという前提に立つのであれば……オリジナル本尊は檀像(※注1)の可能性が高いように思われます。
となれば、渡来仏の可能性も十分にありうる。が、逆に、善光寺仏がそうである可能性ほどに古くはないということになりますが……それはしかし、創建年代にはぴったり来るということにもなり……。

……と、憶測に憶測を重ねても詮無いことですな。

しかし、ここで私は、前回最後に振っておいた「現代の謎」に直面することになるのです。

そういえば、前立像の写真って見たことないな……?

そうなのです。たとえば善光寺の前立像は写真出まくってて、鎌倉期の造像として重文指定も受けています。清水寺みたく、基本的に写真公開は前立像が身代わりを務める、という例も多いです。けれど浅草寺の前立像は……。
とりあえず、指定文化財のデータベース等を調べてみたのですが、国指定(※注2)、都指定、台東区指定、いずれにも見当たらないんですね。

そうすっと近世のパチモンか?(失礼!) 慈覚大師手彫りなんて大ウソか?(ますます失礼!)と、先走りそうになってしまうのですが、いや、ちょっと待ってください。浅草寺の仏像自体が、リストにひとつも見つからないんですよ。いや、宮殿脇侍の梵天・帝釈天にせよ、内陣左右に配された愛染・不動の各明王にせよ、裏堂中央の裏観音にせよ、せいぜい江戸期の像だとしたって、都指定か、せめて区指定くらいは受けていたっておかしくないじゃないですか。

あ、そういえば、裏観音の盗難事件の際、「文化財指定は受けていないが…」という記述があったような……。

http://www.47news.jp/CN/200512/CN2005122301001855.html

ニュースあった……。(※注3)

うう……それなりに古そうに見えたんですが、再建時の造立だったんですね……。
いきなり私の鑑定眼の底の浅さが明らかになってしまいましたが……そうすっと、周囲の仏像みんな昭和再建時の? え? じゃあホントは前立像も!?

……と、これまた性急な判断は避けておきましょう。
だって、じっさいもっと古い仏像は浅草寺には残ってるんですよ? でも、ひとつも文化財指定を受けていない。例外は二天門の二天像、伝法院の不動明王像ですが、いずれも本丸からは外れてるというか……あと、浅草寺蔵でなんらかの指定を受けているのは、二天門、六角堂といった空襲から焼け残った建造物、あとは「山東京伝机塚の碑」と、要するに露天のものばかりです。こないだの御開帳時に資料館?かなんかで見た歴代の絵馬なんかも、区指定くらいなら十二分なシロモノがざくざくあるんですけどねえ。指定リストには見当たらない。

うーむ……。

ここでひとつ考えられるのは、生きた信仰の中心であるが故のタブーです。
ま、前立像が昭和再建時のものだったとすれば、「それはなかったことにして」、慈覚大師手彫りの伝説を主張し続けているとか。「ツッコミは許さない!」って感じで……。

でも、心情的にはもうちょっといい方の解釈をしたいところです。

ひとつ考えられるのは……いや、憶測できるのは……いやいや、妄想できるのは、明治の実見が実話だったと仮定して、それゆえに、浅草寺が文化財調査に対して強いアレルギーを持っているんじゃないかと。調査の申し込みや文化財指定に対し、極めて慎重な姿勢を崩さないんじゃないかと(※注4)。
これ、ありそうじゃないですか?
タブーであればこそ、直接真否を問い合わせるような勇気は私にはありませんが……。

と、まあ、この妄想の真偽(妄想に真偽もへったくれもありません)はさておいて、もう少しだけ参考になる物件があるので、取り上げてみます。

温座観音

これは、「亡者送り」で知られる正月行事、「温座秘法陀羅尼会」の本尊とされる観音像です。以前注記したオフィシャル・ガイドブック「図説 浅草寺 いまむかし」から引用させていただきました。

ま、この行事自体は、江戸時代に岡山の金山寺から招来したものなんだそうで、そう古いものではないんですが……本尊と同じ尊格の別の像を、特定の行事に限って本尊に立てるって……密教臭え! なんだか二月堂の小観音すら彷彿させますね。

……本題に戻って、と。

これは……うん、木彫の聖観音像ですね……。
同書によれば、「(造像は)鎌倉時代」「源義朝が奉納したものと伝える」そうです。

ほら! ほらね! これ、指定文化財になってないの、おかしいでしょ?
や、典拠が「オフィシャル」の本だけに、なおさら余計に真偽が疑われる面は確かにありますが(笑)、でも、少なくとも昭和再建時の補作にそんな但し書き付けてわざわざ掲載するってこともないでしょう?
義朝といえば、かの頼朝の親父さんですから、寺伝通りなら平安末期(※注5)、それを「鎌倉時代」と記してるあたりの良心も信用したいじゃありませんか。
まあ……文化財指定もされてないのに誰が鑑定したのか知りませんけど。

そこで、「おまえの(ヘボ)仏像鑑定眼ではどうなんだ?」ってツッコミもあると思うのですが……いや、むしろしてほしいのですが!(笑) しかし……どう見てもこれ、模古作なんですよね……。

だってこの宝冠と宝髻、硬い立ちポーズ、胸部の彫り出し方、衣紋の形式……ズバリ白鳳~天平のスタイルですよ。もちろん、いくらヘボな私でもその時代の作そのものだとは思いません。あくまでも模古作だとは思います。なんていうか、その「模古っぷり」も中途半端な感じで……彫刻としての価値はあんまり……もごもご。

ただね、そこで思ったのは、「これ彫ったやつ、オリジナル見てねえか?」ってことなんですよ。
だって、なにを根拠に、鎌倉時代(ということにしておいて)に突然この形式で?
よその観音様をモデルにしたと仮定しても、ズバリ想定される像が思い当たりませんしね。

いや、「オリジナル」って表現を使ってしまいましたが、つまり、旦那衆(徳川家はじめとするエライ人たち)が奉納した観音像は浅草寺にたくさん残ってるわけですよ。多くは江戸期の像のようですが。そういう習慣はどこの寺でもあって(※注6)、前立目的の造像ではないにしても、要するに本尊の移し身ですよね。お手本になる本尊が秘仏だったら、仏師が尊名から適当に解釈して彫るのでしょう。この像も、義朝の伝説の真偽はともかくとして、大筋ではそういう類だと想像されるわけです。

で、この像容……?

「これはなんかある!」と思う私を誰も責められないと思うのです。
ちゃんと調べれば、すげえ簡単な種明かしに、あっさり足元をすくわれそうな気もしないでもないんですけど。
たとえば……祭事とともに金山寺から招来した、本来は浅草寺にまったく関係のない像だった、とか……。

ただ、もうひとつ。「秘仏」って概念は、そこまで古くないと思われるわけです。平凡社の『日本の秘仏』、毎日新聞社の『秘仏』、それぞれにおいて秘仏の起源に関する論考を寄せている藤澤隆子氏によれば、秘仏という概念の成立はともかく、「尊像を見せない、または隠す」という現象が記録に見られるのは、9世紀後半からのことだそうです。そして、各地で霊験仏の秘仏化が顕著に進んだのは、神仏習合が体系的に進んだ中世のこと。
善光寺なんかも鎌倉時代初期あたりが怪しいとされています。ま、善光寺信仰が大いに広がった時期でもあるんだけど、世に何百とある善光寺式一光三尊仏のほとんどが、鎌倉時代に作られているんです。
隠されたからこそ模刻仏が濫造された、という推理。
少なくとも、「この時期にはまだ秘仏本尊の尊形の記憶があった」ということにもなりますからねえ。

てなわけで。

私としては、「幻の浅草寺本尊は天平期の檀像、しかもひょっとしたら渡来仏ではないか。そして、秘仏化した時期は、実は早くても鎌倉期までは下るんじゃないか」と、推理……いや、妄想しているのです。

長くなってしまいましたが、以上で、浅草寺編「は」完結です。
次回は長野に出かけます。

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絶対秘仏萌え! その4

謎の浅草寺本尊3

てなわけで、やってきました、浅草へ。

仲見世

仲見世は相変わらずの賑わいです。中央の垂れ幕がおわかりでしょうか?
「浅草大観光祭 慶祝 観音堂落慶50周年記念」と書かれています。

「大観音祭」じゃなくて「大観光祭」なのね……。

宝蔵門

堂々たる宝蔵門。本来は仁王門なのですが、昭和の再建時、楼門上を収蔵庫にしたため、宝蔵門と名付けた由です。
「雷門スルーかよ!」と言われそうですが、ま、参詣紀行文が目的じゃないので、どんどん行きます。

ここには、
「本堂落慶50周年 記念開帳 平成20年10月15日~11月16日」
と、掲げられています。
そうそう、これが目的なのよー!と、気分も高まってきました。

ちなみに、お前立ちは年に一度の12月13日、すす払い行事の一環として、法要中のみ開扉されるそうです。いわゆる「虫干し」の建前に類する感じですね。が、時間も短く(なにしろ観音経を読む間だけですから)、厳かな法要中のみの開扉ということで、とても自由に見られる状況ではない。一般客相手にあけっぴろげに公開する機会は、やっぱり貴重といえるでしょう。
御開帳のタテマエは、原則33年に一度(観音様の定番)、ほかに、今回のような特別大きな祭事のときにも臨時開帳がある、ということになっているようです。
前立仏なのに33年に一度って……形の上だけなら善光寺よりはるかにうわ手ですな。

結縁の紐

さあ、「回向柱」が現れました。
……電柱みたく、結縁の紐を経由する柱があるのね。知らなかった。

この、御開帳と切っても切れないシンボルとしての回向柱も、浅草寺と善光寺の共通点のひとつです。今となってはあちこちの御開帳で見られる風景ですが、もっとも有名なのはやはりこの2寺で、他の多くの例はこの2寺の模倣と思われます(※注1)。

ただ……ルーツがどこにあるのか、いつごろに起源があるのか、そこがわかりません。ちょっとだけ調べてみようとしたんですが、本格的な資料検索スキルなど持たぬ素人のこと、あっさり挫折しました。
わかったのは、奈良時代の『日本霊異記』に、仏像に縄を繋いでそれを引きながら祈るという形式が何度も出てくるということ、それと善光寺の場合、「江戸の再建以降、回向柱は松代藩が調達するようになった」そうなので、「少なくとも江戸の再建以前から御開帳時には回向柱を立てていた」ということくらいです。

もちろん、この柱自体は卒塔婆の一種なんですが、「御開帳時、御本尊に直接繋がった紐を掴んで結縁する」というスタイルの起りは、いったいいつなんでしょうか。印象としてはそう古くなさそうですが……まあ、多くの一般参詣者が集まるようになってからの話でしょうし、御開帳をイベントとして盛大に催すようになってからの話でしょうし……そう考えると、早くても中世、普通に考えて江戸期ですかねえ。
……単なる憶測ですが!

回向柱

さて、例によって回向柱には人が群がり、列を作ります。とはいえ平日ですし、全然ましな部類でしょう。
どうでもいい話ですが、帰りに通りかかるとずいぶん長い列になっていて、見れば、先頭の人がよくばりにも全部の紐を束ねて掴み、続く人もその流儀に倣っている。思わず、「ひとり1本掴めばいいんですよ!」と、おせっかいをしてしまいました。

本堂軒下

回向柱から繋がった紐が、本堂の中へと入っていきます。
導かれるように、私も外陣へと踏み入ります。

本堂外陣

外陣のようす。多くの人は、ここでお参りして立ち去って行きます。
そして……。

宮殿開帳

確かに宮殿が、厨子が開いています!

……撮影禁止の表示もなかったんで、失礼してしまいました。
観音さま、ごめん!

続いて靴を脱ぎ、寺男さんに断っておずおずと内陣に踏み込みます。
内陣はさすがに撮影禁止。おばちゃんおばあちゃんを中心に、熱心な信者さんが坐して経文を唱えているので、迷惑をかけぬよう気を使いながらの拝観(本当は観察)です。

前立本尊は宮殿の中。あまり近寄れないし、暗いしで、細部まではわかりません。衣紋はけっこうシャープに、深く彫られている気もします。表情はちょっと読み取れない。
とりあえず、サイズは50センチ前後といったところでしょうか。木彫で、全体に褐色を帯びていますが、白木のままの御像とお見受けします。
右手を垂下し、左手に(たぶん)蓮の華、頭上には(どうやら)宝冠、像様からして、なるほど聖観音像であることは間違いないところでしょう。

そして……もし、明治の実見の話が本当であるならば、ですが……基本的に「本尊の像様に忠実な前立像」ということにもなってきます。

前立像は、寺伝によると9世紀前半、中興とされる慈覚大師が訪れた際、自ら彫ったものであるとのこと。
うーん……ま、「誰それ手彫り」というありがちな伝説は脇に置いておくとしても、実際にこの中興時の仏像だったとしたら、前立像自体に相当な価値が認められるはずです。もちろん、彫刻としての出来栄え如何にもよりますが、資料的価値だけでも国重文は堅いところでしょう。

……と、ここで、浅草寺本尊「現代の謎」に行き当たってしまいました。

次回、浅草寺編完結(の、予定)。

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絶対秘仏萌え! その3

謎の浅草寺本尊2

個人的な浅草寺への興味の中心がどこにあるのかといえば、古代におけるアズマの国の状況を想像する糧になる、という点につきます。善光寺とペアで扱う意味もまさにそこにあって、前々回に書いた「渡来人の動向という古代史最大の鍵が、絶対秘仏の古代仏には必ずといっていいほど絡んでくる」ってところですね。

寺伝の縁起書による浅草寺の創建はというと……628年、東京湾で漁をしていた網に観音様がかかりこれを奉ったことを起こりとし、645年、この地を訪れた勝海上人(※注1)によって秘仏とされ、寺院の体裁が整えられた(これをもって開基とする)、となっている。

聖徳太子の時代ですね。つーか、中央で仏教受け入れ問題ですったもんだしていた時期からたったの半世紀ばかりです。これは冗談じゃなく古い。マジかよ。

旧態依然の中央史観の感覚でこのエピソードをとらえると、「寺の縁起書なんてデタラメに決まってるじゃん。東国のド僻地で、そんな時代に寺が建つわけないだろ?」というのが当然の反応になります。
そういえば、徳川以前の江戸について、ある種伝説的なまでに語られるお決まりの風評がありますね。曰く、「藪だらけのじめじめした湿地帯で、僻地もいいところ。人が住むようなところじゃなかった」と。

ある意味、間違ってはいない。ある意味、ね。でもそれって、江戸の市街地中心部、今でいう下町あたり限定の話なんですよね。「武蔵国」全体として見れば、奈良時代の府中にはすでに国府があり、国分寺があり、多摩川沿いや狛江、さらに埼玉、千葉あたりには思わず仰け反ってしまうような大規模古墳群があるわけですよ。ヤマト政権のシンボル前方後円墳だってざくざくあるし、上野のお山にも芝公園にも古墳群がある。さきたま古墳群には日本最大の円墳、竜角寺古墳群には最大級の方墳がある。さらにさらに、狛江の古墳群からは弥生時代の方形周溝墓まで見つかってると来たもんだ!(※注2)

そして……府中、狛江にほど近い調布の深大寺と、千葉の竜角寺には、念持仏レベルのサイズではない、つまりホイホイと気軽に持ち歩けるサイズではない、立派な白鳳の金銅仏があるわけですよ。

とりあえず、「古代の関東=未開の僻地」という先入観は捨てなきゃいけません。縁起書の創建エピソードに土師氏が出てくるあたりも実にリアルですし(※注3)、万葉集の東歌に多摩川や筑波山が出てきたり、行基さんがうろうろしてたりとか、中央との人の行き来も普通にあったわけですしね。
東の国は、現代の我々が想像するほどに中央から遠くはなかったのです。

ただまあ、「とはずがたり」の記述に見る鎌倉時代の浅草寺がおかれた状況というのは、「霊験仏として高名なので参拝してみたが、なんにもない野っぱらを延々歩いていくと小高くなった場所に辿り着き、そこにお堂があった」みたいな話なんで、浅草周辺がド僻地だったことは事実なんでしょう。ただ、伝説のジメジメ湿地帯そのまんまじゃなくて、その中の丘状の地形というか、そういう場所ですね。もしかしたら、海岸線が後退する前は岬状の場所だったのかもしれません。
ちなみに、出土品等が確認されていないので確実視はされてないようですが、浅草寺周辺にも「浅草寺古墳群」がどうやらあった……みたいな、話も……一応、あります。

そんでもって本題に戻りますが、645年が浅草寺の開基と。ホントかよ、と。
ところがです。発掘調査によって、遅くとも奈良時代後期にはそこに寺があった、ということが考古学上確実になっちゃってる。さすがに規模までははっきりしてないようですが、もっとあちこち掘れば瓦ももっと出るだろうし、伽藍の跡も見つかるんでしょうね。
発掘調査は地道に続いてるらしいんで、今後の成果に期待したいものです。

でもって、善光寺との類似点はほんとあれこれあるんですが、私がもっとも注目している点が、まさにここなんです。
「中央から遥か離れた東の僻地に、奈良時代に寺が建っていた。その寺が、いまなお厚い信仰を集め続け、立派に生きている」。
まして、国府からはかなり離れた場所に……。

だからなんだって話……いや、別に具体的な自説をもったいぶってるとかじゃないんですが、端的にいって、ものすごく早い時期に(中央を経由せずに直接!)渡来人が入り込んでいたんだろうなー、と。んで、そういう証拠、いやせめて気配だけでも今に残されてるとしたら、それはとっても興味深いことだなーって、そういう話です。最近強く興味を持ってるテーマなんで、今後もこのへんの話は頻発すると思います。
この件に関しては注2も参照。

というわけで、次回、ようやく実地の拝観レポート開始!

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絶対秘仏萌え! その2

謎の浅草寺本尊1

絶対秘仏に関しては、その「絶対度の高さ」が気になるところです。
そして、漏れ伝わるわずかな情報に我々は食らいつくわけですが、さて浅草寺はといえば、比較的絶対度が低いといえます。なぜなら、あの、日本国二千年史上最低最悪国家システムである大日本帝国の横暴により、近代において実見がなされているからです。

……と、なにで読んだのか探してみたんですが、どうしても見つかりません。
そんなんばっかだ! ごめん!
とはいえ、秘仏ファンにはよく知られる広く流布した話なんで……とりあず、典拠はスルーとさせていただきます。とりあえず、ね。
まあ、ネットで拾う分にはそれなりに記事が見つかるんですけど、オフィシャルな性質の記事が見つからないんですよね。

毎日新聞社編『秘仏』に出てたとばかり思ってたんだけど……違った。
でも、二月堂の十一面観音に関しては、この本に載ってる論考が大基本です。

さて、とにもかくにも、ご存じない方のために、この実見のエピソードをざっとおさらいしておきましょう。
間違いの指摘、典拠のわかる方等いらっしゃいましたら、ぜひご教示ください。

えー、確か時代は明治初期です。フェノロサの影響なんかもあったのかわかりませんが、政府が神祇官等を3人ばかりを送り込んで、強引に御本尊の宮殿を開扉させたとか。
この検分の結果として伝わる話では、本尊は数十センチばかりの木造聖観音像で、かなり朽損していたらしい。確か腕はなかったとかだったかな。たび重なる火災の影響も当然あったのでしょう。ま、絶対秘仏がひどく傷んでいるというのは定番パターンのひとつですから、納得といえば納得です。

うちひとりが、なんと、実見をもとに図面を起こしています。しかしながらこの話、立ち会ったメンバーが次々に急死するというファラオもびっくりな呪い話のオマケ付きで(仏さまは呪わんと思うんだが……まあ神仏習合してるから仏罰もアリなのか)、図面を所有する遺族が「おそれおおい」ということで浅草寺に奉納、これまた厳重に秘されてしまった、とのこと。

うーむ。「絶対秘仏度」の落ちる話としておさらいしたはずなのに、今となっては、結果的にむしろ神秘性を高めるエピソードのひとつとして機能しちゃってますね。
ましてや典拠が示せないんじゃ、まんま伝説だろ、これ……。

うーん、さすがの霊験!

……って話じゃないですね。ちゃんと典拠を探せと。

ところで、空襲でほとんどの伽藍が焼けたのは、当然明治の実見より後のことになるわけですが、「御本尊はあらかじめ避難していて無事だった」との話が伝わっています。この件はちゃんとオフィシャル・ガイドブック(※注1)に書いてありましたよ、はい。
実際、本堂の中だけ見ても、江戸期以前と思われる仏像がけっこう残ってるんで、普通に信じてよさそうですね。周りに配置された仏像が残ってるのに本尊だけ焼けるってことはありえないでしょ。
以上によって、意地悪く囁かれ続ける「実は存在しない説」は却下です。

いっぽう、「一寸八分の金無垢の像」という俗説も根強く囁かれています。こっちのバージョンのみ聞きかじっている方は、上記のエピソードに、あれ?と思ったことでしょう。しかしながら、この形態は江戸期に徳川家が奉納した金銅像と一致しているとのこと。この徳川像は江戸期の出開帳などで公開されたこともあり、今も御本尊と一緒の宮殿内に現存するそうなので、目撃者からの伝聞がこのような噂を呼んだものと考えられます。もしかしたら、三井寺の弥勒菩薩の伝承も混じってるのかも(黄金の小像という点が似ている)。天台系寺院として。
なんにせよ、江戸時代から続く噂となれば、そりゃ根深いのも無理はないですな。

今回はそんなところで。
次回は、浅草寺創建の背景となる、当地の古代状況についてあれこれ考察じゃなかった妄想したりまとめてみたりしたいと思います。

いつになったらレポートに辿り着くんでしょうか……。

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絶対秘仏萌え! その1

浅草寺と善光寺、ふたつの御開帳

すでに旧聞に属する話になってしまいますが、08年におこなわれた浅草寺特別大開帳、そして今年09年は、6年に一度、善光寺の御開帳に行ってまいりました。

浅草寺御開帳

「はぐれ神仏」と銘打った割にはいきなりの大メジャーネタですいません。

善光寺御開帳

善光寺のほうが全然すいてるように見えますが、それは早朝だからです。
早朝以外だと、お戒壇巡り2時間待ちとかになってしまうんでね。

ともあれ、個人的にはどちらも初めて。わくわくです。
東大寺二月堂の2体の十一面観音像とともに、いわゆる三大秘仏に列せられる両雄。
だけど、どっちもお前立ちしか見せてくれない……。
うう……。

ていうかね、よく言われてることですが、浅草寺と善光寺って、本当によく似てますよね。ちゃんとした比較研究があるのかないのか……寡聞にして知りませんが、ま、今回は最終的にソレをメインテーマに妄想してみたいと(今のところは)思っています。

と、その前に、「絶対秘仏」についての御託をあれこれと並べてみたい。

仏像マニア永遠の憧れ、それが絶対秘仏!
見たい! だけど見られない!
もどかしくも狂おしい痛切な恋情が、仏像マニアの身を焦がします。

だけど冷静に考えると、一度でも見てしまったら、そりゃあ好奇心は(学究的興味や観賞欲も)大いに満たされますが、その神秘性は薄れ、この狂おしいまでの拝観願望は二度と味わえなくなってしまうのです。それ以前に、何百年かけて築いてきたレアリティが水泡に帰してしまう、ということでもあるわけで……。

だったらそのまま隠しておいてくれ! というマニアにはマニアなりのアンビバレンツもあったりする。たとえば異神界の大スター、三井寺の新羅明神さんも、だいぶその神秘性が薄れてきてしまいましたね。……ま、あのひとは、かわりにきっちり国宝指定もらってるんだけどさ。
ドラマチックな開帳エピソードを持つ救世観音も、事情は一緒です。あの否応なく畏怖を覚えさせてくれる神秘的な微笑を生かすためにも、もうちょっとレアリティ高めてもいいんじゃねーかなあ、と思いますが。せめて善光寺並みの6年に一度とか。

こうした感覚は、天皇陵や指定陵墓に対する感情にも似ています。そりゃあ、箸墓掘ってほしいですよ。見たい知りたい。主にお役所的怠慢さ、及び、過去の過ちを認めたがらない、アジアで叩かれまくるほっかむり体質によって発掘を拒否し続ける宮内庁の偏狭で保守的な公僕どもに対しては、並大抵でない義憤を覚えます(※注1)。

しかしねえ。「確実にそこにあるのに見られない真実」ならではのロマンというか。それって魅力的だし、加えて、大型古墳ってこんもりと森が茂ってるじゃないですか。あの風情って実にいいんですよ。もう大好きで。佐紀古墳群巡りとか、極上の散歩道です。
んでもって、築造時にわざわざ木は植えてないわけでしょう? 立ち入り禁止にして千数百年、勝手に生えた木が勝手に生い茂ってああなっている。つまり、一種の原生林が町中で保存されているともいえる。天然記念物に指定されてもおかしくないくらいですよ。それを伐採しなきゃ発掘ができないってんなら、発掘しないほうがいい! なんてことも思うわけです。一方では。
と、かようにマニア心は難しい。そんなふうに思うのはオレだけかもしんないけど。

話が逸れましたが、しかし「三大秘仏」ってのは誰が言い出したんでしょうね。まあ、メジャーどころで妥当なセレクトだとは思うけど、でも、話題にすらならないほど秘された三井寺の本尊弥勒菩薩とか、武蔵野は深大寺の深沙大将なんかもちょっと気になるところです(※注2)。
あと、実は地元に、白鳳仏といわれる超ヤバイ絶対秘仏があるらしいのですが……その話はまたの機会ということにして……。

それにしても、メジャーどころの絶対秘仏は……どれもこれも渡来仏臭ぇ!

やっぱね、絶対秘仏は古代仏じゃなきゃ!
しかも渡来仏ならいっそうよし!
……なにが「よし」なんだかわかりませんが、二月堂も小観音のほうは渡来仏っぽいしー。

要するに、「渡来人の動向」という古代史最大の鍵が、絶対秘仏の古代仏には必ずといっていいほど絡んでくるわけですよ。特に地方では(※注3)。
そこにいっそう萌えるじゃないですか。

と、くだくだしい前置きをようやく終えて、次回からの浅草寺編に続きます。

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ミシャグジさまのお膝元で

異神、妖神、霊験仏

09年春現在。
諏訪大社の絵馬奉納所に行くと、オタ絵が描かれた絵馬が大量に下げられています。

以下、諏訪大社秋宮に見る一例を紹介しましょう。

秋宮神楽殿

立派な注連縄がかかった神楽殿の右奥に、かの有名な御柱が建っています。

絵馬奉納所

御柱の根元には、絵馬の奉納所。

東方絵馬

そして、これ……。

想像以上の猛威をふるっていることがおわかりいただけることかと思います。中には、絵こそ描かれていないものの、ただひとこと「秋宮クリア!」とだけ書かれた絵馬もあったりして。

うーむ……。

私は商売柄オタ方面に多少の知識があるので、否応なくやつらの正体がわかってしまうのですね。そんで思わず、自分でも絵馬を買って「東方ネタ禁止!」とだけ書いて下げてきてやろうかなどとも思ったのですが……大人げないのでやめました。

つーか、今さらですな。時代は変わる、人心も変わる。千数百年来、あるいはもっと、永遠に近い時をここに鎮座し続けてきた神様です。どんな動機であろうとも、境内が参詣者で賑わうのであれば、広い心で喜んでくださることでしょう。

というわけで、「女神なんちゃら」とか「東方なんちゃら」等の功績(と、素直にいいたくはないが)もあってか、諏訪の神様もミシャグジさまも、いっそうポピュラーな存在として息を吹き返しつつあります。それでなくとも最近は、古代史的な注目を大いに集めており、マニアだったら避けて通れないのが諏訪信仰です。いやもちろん、専門の学者さんにしても同じですが。

私は、そんな諏訪信仰の懐に抱かれて育ちました。諏訪大社ばかりでなく、あたりには御社宮司社以下、怪しげな古代神・土着神の祠や神社、道祖神、おなじみの男根型石棒なんかががごろごろしているファンキーな土地柄です。

御社宮司総社

こちら、郷土の名士、藤森照信先生が建てた資料館ですっかり有名になった、ミシャグジ様の総本社。
う……手持ちに人が写りこんでるのしかなかった。雰囲気なくてすみません。

山王台名残

ここには……これでもか!というほど、いろんなもんが混じってます。石棒道祖神、秋葉権現、地蔵、如意輪、庚申塔、蚕玉神、そして名もなき石祠……。
もちろん、もともと一か所にまとめて祀ってあったわけじゃありません。開発の過程で寄せ集められちゃうんですね。戦後の田舎ではよく見る光景です。
でも! 四隅にはちゃんと御柱が立っている。

これが、諏訪なんです!

武居エビス

もう一例。こちらは、一見なんてことのない土地の鎮守に見えます。マキの産土神でしょうか?(※注1)
社名はどこにも見当たりません。
でも実はこの神様、諏訪の明神様より昔から、この場所に鎮座してらっしゃるのだそうです。
そんで、今でも地元の人が丁寧にお祀りしています。とっても素敵なことです。
(この件は、いつかディープに取り上げます)

加えて、いや、おそらくはミシャグジ信仰と直結するのでしょうけれど、この地は中期縄文文化のメッカでもあります。個性的で質の高い完形の土偶や、洗練された蛇体紋の土器は、縄文マニア垂涎の的です。

そんな場所で育ったがゆえに、私もまた、小学生時分には「縄文」にハマっていました。
なんの因果か、同時期に仏像にもハマりました(今でもハマり続けている)。
ま、わりと土着性の薄い家で育ったため、ミシャグジを知るのはだいぶ後のこととなりますが、さまざまな経緯ときっかけで熟成された私の初期衝動は、おおむね以下のようなテーマに集約されてきたのです。

・古代信仰と古代史
・神仏習合と(主に地元絡みの)中世史
・仏像(特に秘仏、霊験仏、地方仏、異端仏)

このあたりが、当ブログのテーマになっていくことでしょう。
もちろん、話題沸騰、山本ひろ子先生いうところの「異神」も大好物です。

モットーは、

出不精だけど、フィールドワーク大事!
勉強が苦手で記憶力も弱いけど、気持ちの上でだけは文献重視!
底抜けのズボラなりに、それでもがんばって更新!
そしてなにより、
「妄想はあくまでも妄想」という素人の矜持を忘れない!(※注2)

ああ、それと、偉そうに地元意識を前面に打ち出してしまいましたが、実際は長いこと東京にいて、帰ってくる気なんか全然なかったのです。が、やむにやまれず都落ち……せっかくなので、昔から強い興味を持っていた郷土史に向かい合ってみることにしました。
ま、扱うネタを地元に限定する気はまったくありませんけどね。

以上、開設のあいさつ兼、ブログの説明でした!

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Author:LooseFrog
基本的に怠惰で、社会人として問題の多い中年男です。
でも、興味の対象には嬉々として食いつきます。

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