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桑根井古墳(松代)

積石塚古墳に合掌!

とうわけで、ぐっと砕けた調子で「この件に関係した気軽なレポート」のひとつをお届けしようかと思います。
私は約束を守る男ですからね。
よく言うよ。

舞台は松代、玉依比売命神社を訪問し終わり、皆神山の登り口を目指している途中のことでした。
のんびり走らせていたクルマの車窓から見えたのは……。

古墳発見

お? 古墳!?

本格的な古墳マニアはとても自称できませんが、古墳愛好家のはしくれとの自負は抱いている私です。カマドウマが怖くて石室に入れないのが難点ですが、「それらしいもの」をちらとでも見かけたら、見逃すものではありません。
クルマを停めて近寄ってみると……。

積石塚古墳

間違いない!
これがいわゆる積石塚というやつでしょう。
普通の古墳のような土饅頭ではなく、礫を積み上げて造った古墳です。全国的に見ると希少なものですが、その大半がここ松代周辺に集中しているのです。これは、渡来系氏族の集住の痕跡とみる説が一般的となっています。
まあ、この物件は土混じりですけどね。

それでも……うーん、初めて目の当たりにして大感動!

いや、ね、この地にあることはわかってるんですから、それを目的に訪ねたのであればそこまで感動はしませんよ?
通りすがりに偶然出会った、自分の目で見つけたのが嬉しかったんです。

周囲の斜面には畑が広がっていますが、その隅にはいちいちこういうものがあります。

古墳残骸

さぞかしたくさんの古墳がぶっ壊されたのでしょうね。
残念といえば残念なのですが、これは仕方がない。耕作者たちにとってみれば、そこここにある積石塚はひどく厄介な邪魔物という以外の何物でもありません。
きっとタタリを畏れつつも、背に腹は代えられず突き崩していったのでしょう。

ところで。
誰でも一度くらいは、「いつか地上は墓で埋まってしまうんじゃないか?」という妄想に怯えたことがあると思います。
なんとなく地下鉄コントを思い出すような夜眠れなくなる系の話ですが、実際問題、先史時代からの墓がすべて残っていたら、なかなかすごいことになっているでしょう。
まして、古墳は専有面積が大きい。
古墳時代が千年も続かなくてよかった……。
というわけなので、やっぱり壊されちゃったのは仕方ないですね。
でもこの地に限っては、その結果、玉依比売命神社の児玉石がぐんぐん増えて県宝に指定されるほどの貴重なお宝になっているのですから、大いに慰めになります。

でも……現代人が造成のために壊すのは絶対に許しません!
「江戸時代の農民以下の民度で現代人面してんじゃねえぞ、野蛮人どもが!」
と、不動産系大企業やゴルフ場経営者の皆様に申し上げておきます。

ふと見ると、その向こうにもうひとつ、いい感じの塚があるのでした。

隣の古墳

おー。
これは素晴らしい!

古墳墓地

古墳が丸ごと近世の墓地になってます。

古墳墓地接近

いいです、好きです、このセンス。
冒涜的なんだか信心深いんだかよくわからないこの感じ。

しかし、積石塚ですから、墓穴掘るのすげえ大変だと思うんですけどね。
それだけに労作ですよ。

頷きながら塚を回り込んでいって……みたび感激!

合掌型石室

おおおおお~、これが噂に聞く合掌型石室というやつですか。
偶然出会った積石塚が、合掌型石室の開口部を覗かせているという激レアな逸品。
これはラッキーですよ。
とか思ってたら…………んっ?

合掌型石室地蔵

地蔵です。
合掌型石室の入り口に地蔵が祀られてます。

すげえ!
理に叶ってる!
冥界への入り口ですからね。やっぱ地蔵さんに立っててもらわないと。
屋根型の入り口が実によく似合っていて、いや、本当に素敵としかいいようがない。
思わず手を合わせたくなります。
「合掌型石室」って専門用語は、これ見て思いついんたんじゃないかと。

庶民の素朴なアイデアによって、古墳祭祀(それもスペシャルなやつ)と、仏教と、民間信仰とが混然一体となっている。
しかも……全体として「墓である」という基本軸が微塵もブレていない。
素晴らしい!

私は、こういう豪快な習合が大好きです。

だけど、これは大真面目に逸品といっていいと思うなあ。こんな素敵な墓はどこ探したって見つからない。古墳の上に祠が祀られてるケースは多々ありますが、発想として、こっちの方がずっとクリエイティブですよ。
「こういう価値」を評価する価値基準が確立していないのは非常に残念なことで。
この「結果」をもって文化財指定し、総体として保存していってほしいものです。

純粋に古墳としてもやはり逸品らしく、自治体の文化財指定解説看板が立ってました。

桑根井古墳全景

たとえすべての近世墓が無縁仏になったとしても、それ取り除いて復元するなんてバカな真似、ホントしないでくださいね。お願いですから。

こういう面白さってのは、ま、「キッチュ」って言葉で表わされるナニカともいえるんでしょうけど、狙ったキッチュなんてのは下の下ですから。自然体のキッチュ、それも真摯なものほど素晴らしい。加えて、信仰絡みのものはいっそう飛距離が出ます。
この有名サイトなんか、素晴らしいスタンスで素晴らしい成果を長年積み重ねてきていますね。インターネット文化もめまぐるしく変遷を重ねてますから、単純に個人HPというカテゴリの中でも、相当長命な部類に入るんじゃないでしょうか。

現代にあっては「電波」の名の下にはじき出されてしまうような特異な感覚が、宗教が生き生きしていた時代にあっては、社会の側に受け入れられるだけの懐の深さがあったわけです。
だから……決して嘲笑うのではなく、心底感動したい。

なーんてことを思いながら"あの"皆神山に登ったわけですよ。
こともあろうに。

電波看板1

電波看板2

電波看板3

超有名なので特に説明しません。

ただ、これ↓の存在は知らなかった……。

出口王仁三郎歌碑

出口王仁三郎が皆神山を詠んでます。
で、ここの神主さんが歌碑を建てたのでしょうね。

なんていうんでしょう……類友というか、違いのわかる男たちというか。
自然に呼び合っちゃうんでしょうね。
もうちょっとだけ違う時代に生まれていれば、まったく違う形で歴史に残った人たちなのかもしれません。

皆神山で撮ったその他の写真は、いつか伊豆速雄命の続編を書くときまで死蔵される予定。
皆神山の存在感を肌で感じることができてすごくよかったです。まる。
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三面大黒天のこと

近世台密習合神の代表格

えー、うちのブログのマスコットについて、一度は語っておかなければなりますまい。

というわけで、今日は余談系なんですが……でも、長くなると思います。
性分なんで、お許しください。

さて、改めて見てやってください。このページの上部に表示されている、怪しげな絵のモチーフとなっている神様(仏様?)のことです。

このお方が、「三面大黒天」です。
大黒様の両脇に、武士形の天部と女神さまが控えているというわけではないのです。阿修羅って顔が3つあるであしょ? アレと同じ。三面一体でひとつの尊格。だから「三面」大黒天なんです。

普通の大黒様は、みなさん、ご存知ですよね?
米俵の上に立ち、右手には打ち出の小槌、肩に背負った福袋。白髪髭を伸ばし、満面の笑みを浮かべた、好々爺然とした福の神です。七福神の一員としてもおなじみですね。

このダイコクさま(大黒天/大国天)自体が、日本的「習合」の権化みたいな存在です。なにしろ、世界最強の破壊神というか混沌神シヴァにルーツを持ちながらの、福の神。そんでもって、日本国土のドンたるオオクニヌシが習合している。だいたい、シヴァ自体が日本に伝わってくるまでにえらくいろんな神様を習合してますし、オオクニヌシだって国津神の代表として、本来は別の神であったろうオオナムチやヤチホコ神といった、超重要古代神を何柱も習合しているわけです。
そればかりか、踏みしめた2つの米俵はキンタマのメタファーであり、頭巾をかぶった頭部を後ろから見ると亀頭の形をしていることもある(明らかに意図的に造形されている例が多々あります)、というわけで、日本古来の生産神、豊穣神、生殖神……つまり、道祖神まで習合しちゃってるわけですよ。

そのとてつもない習合の権化に加えて、さらに! 戦いと守護の最強神・毘沙門天と、財産と技芸と水(すなわち豊作)の神・弁才天まで習合してしまったという恐るべき万能の神様が、この三面大黒天なのです。
ま、早い話がひとり七福神ですね(エビスの本質は欠けてますが)。

この三面大黒天は、豊臣秀吉が奉じていたことでも知られています。現世利益の権化みたいな神様ですから、そりゃあもう、エネルギッシュなスーパー俗物の秀吉がいかにも飛びつきそうな感じです。
江戸っ子なみなさんは、上野の弁天様脇に祀られていることを御存知かもしれませんし、関西の方でしたら、東山は圓徳院の、秀吉念持仏そのものと伝わる三面大黒天のことを御存知かもしれません。
そして昨今、ミーハー的現世利益の神として、ポピュラーな信仰が再燃しているフシもあるのだとか。ググってみるとわかるんですが、チャームとしての三面大黒天像、やたらにあちこちで売ってます(※注)。

いやあ、すごい。

いっぽう、仏像マニア的視点から見るとですね、はっきりいって、まったく魅力のない尊体です。中近世のキッチュ仏ですからね。「仏像マニアとしての私」自身も、この尊体にはぜんぜん興味がありません。じっさい、どこの三面大黒天の写真を見ても、うさんくさい民芸品系の近世仏像でしかありませんし(本当に失礼だなあ)。

にもかかわらず、私が自分のブログの看板にするほどこの尊体を愛する理由は、やはりその圧倒的な「習合パワー」にあるのです。
いや……その「うさんくささ」自体が好き!ってのも大きいかな(あの『珍寺大道場』系な、ね……)。

コレもまた台密筋の仕事なんですが……本地垂迹&修験系台密思想のナンデモアリっぷりには、つくづく恐れ入ってしまいます。

余談になりますが、私には、私自身で辿り着いた「創作の奥義」として、「象徴は、関連する象徴を作為/無作為に並べ、配置し、適宜結びつけることで、作者が意図した以上の意味を乱反射のように勝手に増殖させる」というのがあります。
……やー、そんなことはね、台密の坊さんたちや修験者たちは、あたりまえのようにわかってたんですね。
台密の象徴と意味論の迷宮には、ちょっと触れただけでクラクラしてしまいます。特に、仏像マニア的にはついつい軽んじてしまう近世がすごいですね。マニエリスティックに熟成された台密の教義と尊体は、近世、恐るべき深化を遂げていたのです。
……同時に、避けがたくキッチュ性も帯びてしまうわけですが。

たとえば、蛇頭三面十臂の天河弁財天とか……実にすばらしいです!
モンスターですよ、モンスター!(↓これです)

天河弁財天
天川弁財天曼荼羅図(部分)
データはhttp://www.geocities.jp/noharakamemushi/から拝借しました。


私はそんな怪しげでキッチュな神仏を愛してやみません。ゆえに、ふと思い立ってキャッチーな三面大黒さんをシンボルにしてみたわけです。
なんでふと思い立ったかというと……これがね、ブログ初回のシリーズ……浅草寺&善光寺の件に遡ります。
この二寺の比較論は結局スルーしちゃいましたが(あんまり深いレベル、もしくは面白いところまで考えが進まなかったんで)、いやね、この二寺には相似部分が非常に多いのです。それはまあ、同じ江戸参詣観光系天台寺院として、出開帳を通じて直接に影響し合ったことが非常に大きいと思うのですが、しかし、個人的に特に気になったのが、

どちらの寺も、仁王門の裏に、三面大黒天と青面金剛が奉られている。

ということだったのですよ。
まあ……いろいろわけあって、どちらの門も近現代の再建なので……ね。それ以前の時代からこの二尊がいたのかどうか……しかし現代には現代なりの根拠はあるのでしょうし、しかも今のところその根拠に辿り着けていませんし、今なお強い興味を抱き続けてはいるのですが……まあ、とりあえずこの件は保留とさせていただきます。
加えて言えば、青面金剛は青面金剛で、これまためちゃめちゃ複雑に習合した非常に面白い神仏なんですが、その話にも今は触れません(ネット上で検索するだけでも、相当にディープな考察がいくつも見つかりますよ)。
ともあれ、仁王門の裏にいて、ろくに拝む人もいない三面大黒天の悪相(ああ、またもや失礼なことを)が、非常に印象に残っていたのです。

とにかく、怖い。
なにが怖いって、福神ならではの満面の笑みをたたえた大黒様の顔が、「どす青い」こと。
どっちの寺でも、かなりの巨像ですしね。

さて、その三面大黒天の由緒ですが、とりあえず秀吉が信仰していたという端的な証拠、鎌倉時代までの大黒天は憤怒形で一面二臂だったこと等を考え合わせ、成立はおそらく室町時代で、それ以上は遡らないと考えられています。今に知られる典型的な大黒様の尊形の成立は、それよりもさらに下ると考えるべきなのでしょう。

しかしながら、三面大黒天は比叡山由来! かの最澄が感得したという伝説も根強く残っているのですね。

ものすごい時代的ブランク。

ちなみに、典型的な鎌倉期の大黒天像は……まあ、このへんを見ておいてください↓
http://www.kohfukuji.com/property/cultural/100.html
典型的というにはちょっとアレかな。袋と反対の手には、杖というか、棍というか……正式名称を失念し、かつ、たった今ネットで調べても芳しい成果が上がらなかったのでそのままにしておきますが……ま、「独特の棒」を持っているケースが多いです。あと、憤怒形の天部にふさわしく、甲冑を着込んでいる例もぼちぼち見られますね。

で、このへんの由緒伝来の「きちんとした話」については、三浦あかね著『三面大黒天信仰』をおすすめしておきます。学者ではない著者が、しかし素晴らしく正統的に、端的に歴史をまとめてくれています。しかも昨今のブーム需要に答えて具体的な呪法までカバーしているという、とってもいい仕事してる本なのですが……しかし私は、この尊体に対してもっと感覚的なひとつの考えを持っています。

「最澄感得」の意味です。
ま、現実としては、「鎌倉末期~室町期の天台宗徒が勝手に言い出したこと」って線が妥当だとは思うのですが、なんらかの古文書、いや単なる口碑でもいいんですが、根拠となる伝承はあったのだろうと思うのです。それがなきゃ、イメージとして無理ありすぎですからね。
面白いのは、「それを当時の天台宗徒がどう解釈したか?」ってとこなんですよ。

つまり、最澄が唐に渡った際、現地で大黒天像を目撃していた可能性は十二分にあるわけです。ま、比叡山に始まる台所神としての祀り方とその根拠に関する伝承は、それはそれとしてこの際問題にしませんが(とにかく比叡山が何度も焼けてるんでルーツは辿りようがありませんし、実際、今の比叡山の食堂に祀られている秘仏三面大黒天も、決して古いものではありません)、とにかく、最澄その人がかの地で見てきた大黒天/マハーカーラの尊体について、弟子かなんかに話して聞かせ、その伝聞がなんらかの形で残っていたという可能性は十分あると思うのですよ。

では、当時の当地におけるマハーカーラがどんな姿をしていたのか?ということになるんですが、この時点ですでに、「いろんなものが習合してわけわからなくなったシヴァ神」だったものと思われます。
ただ、三面多臂の憤怒形であったことは間違いないでしょう。あと、顔は「どす青」かったでしょうね。

この「どす青い」顔については、インド由来、密教で言われることとして、「赤い顔した怒りはまだまだ、青い顔してるのが本当の怒り」みたいな話があります。蔵王権現とか明王なんか、みんな青い顔して怒ってますよね。さっきちらっと出た青面金剛なんて、名前自体がその性質をあらわしています。
ざっくばらんにいえば、「戦闘系の守護神天部より格上ですよ、もっとこう、魔王的なすごい神仏なんですよ」みたいな感じをアピールをしているわけです、教義的には。

さて。そこで。
中世末期の天台宗徒が、数百年のブランクを経て、大黒天に関する最澄の目撃談をなんらかの方法で知るに至ったと。
しかしですね、その時点での大黒天は、もうすでにかなり「福の神化」が進んでいたんですね(それがなぜなのかは、今の私にはわかりかねます)。つまり、もう笑顔の大黒様になっていた。
その福々しい笑顔ゆえに人気も出始めていた大黒様ですから、いまさら憤怒形に戻すわけにもいかない。んで……困った挙句、そのままの表情でどす青い顔にしちゃったんじゃないでしょうか。

笑顔で激怒! いやあ、いい仕事だ!

しかも、その目撃談には三面六臂とある。さあ、天台宗徒はますます困ってしまいました。長い間一面二臂で来てるのに、しかも福の神なのに、いまさら憤怒神の典型的特徴である三面六臂だといわれても……。
そこで、誰だか知りませんが、ひとりの天才(でもないかな・笑)が勝手に思いつき、勝手に創作したんでしょうね。
「あと2つの顔に、毘沙門と弁天をはめてみよう!」

いや……まあ、先の『三面大黒天信仰』によれば、シヴァ系の神様が片方女神の三面を持つ例も実際インドのほうにあるらしいんで、そういう根拠も多少あるのかもしれませんが……もっとこう、強引でいい加減なパワーを私は感じるわけですよ。だって、この尊体、冷静に考えてめちゃくちゃですよ?
んでもって、そのめちゃくちゃさをこそ、私は心底愛するのです。
数百年かけて順調に日本化、近世化しつつあった尊体に、いきなりインド/原初密教方面からの強烈な揺り戻しをミックス。すさまじい時空のギャップを、一尊の中に平然と混在させているのですから。

と、当ブログのマスコットを題材に今回言いたかったことはですね、「日本独自の習合信仰パワーの素敵さ」につきます。
そして、それこそが、当ブログ本来のメインテーマである、と。

そういうことなんでした。

090710:ちょっとだけ訂正加筆。
090714:再訂正。

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プロフィール

LooseFrog

Author:LooseFrog
基本的に怠惰で、社会人として問題の多い中年男です。
でも、興味の対象には嬉々として食いつきます。

loosefrog★gmail.com
(@に置き換え願います)

デタラメやカン違いや不適当な素材の使用等ありましたら、ご指摘ください。
もちろん、助言や感想も歓迎いたします。

***

字が小さいとの御指摘をちょくちょくいただきます。
P盲な私がいまさら細かいところいじるとワヤになりそうなので、ブラウザの拡大機能の使用を推奨いたします。

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