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番外:児玉石、その後の発見資料

ちょいとインターバルですが今回は固いです

「日の下に新しきことなし」の理通り、自分が独自に切り開いたとばかり思っていたテーマにおいて、先人の素晴らしい研究に出会うことがある。
箱山貴太郎著『上田付近の遺蹟と傳承』がそれだ。
当地の郷土史家による、昭和40年ころの著書である。

諏訪信仰研究は、どうしても諏訪原理主義になりがちである。その点、周辺地域への目配りを重視する私のスタイルはむしろ強みだと思っているのだが、実際、諏訪信仰を調べるためにこういう題名の本を手に取ることはなかなかないのではないかと思う。少なくとも、諏訪在地の研究でこの本が引用されているのはこれまでに見たことがない。

なんといっても児玉石の件において素晴らしい情報が豊富に得られたのだが、そのほかにも、こう……アンテナのチューニングが合うというか、私が興味を惹かれるトピックが非常に多い。おそらく、思考法も似たタイプなのではないかと思う。もちろん賛辞と敬意は惜しまないが、それ以上に共感を覚えるテキストであった。
過去のブログ記事に書き加えたい件もいくつか出てきたのだが、今はなんといっても児玉石の件である。それをひと通りまとめておきたい。
しかし……未知の情報を存分に得られた一方で、やはりこちらには諏訪を拠点とする強みがあり、今回のテーマ全体においては、私が独自の主張を展開できる範囲は十分に残されていたのであった。
正直、安堵した面もあるのだが、それよりも、箱山氏曰く「本家である諏訪では、児玉石と明神との関係についてはまだ研究されていないようである。」とのことなので、
「よっしゃ! 任せろ!」という気持ちにもなったのであった。

テーマ別にまとめていこう。

1.丸石の性質

道祖神に丸石が見られること、神社に丸石が奉納されている件については、その関連をも含め、しっかりと認識していた。その性質についても、成長する石、増殖する石、生命力の石という見解を示しており、また、十分に突っ込めていなかったが(ゆえに私にはまだやるべきことが遺されたのだが)、諏訪の児玉石との関連も把握していた。玉依比売命神社の児玉石はもちろんのこと、子檀嶺神社の児玉石にもしっかり触れている。
まったくもって、半世紀近く前の先人である。
私がまったく気付いていなかった点として、水神信仰との関わりを指摘していた。
自然石としての丸石は、(水神が棲むという)滝壺で形成され、その周辺で発見される。球形、卵形の石に神秘や貴さを感じるのはごくごく自然なこと。ゆえに持ち帰って祀ったのだ、と。
縄文遺跡から出る丸石に擦痕があるのかどうか、それが縄文人の手による人工物なのかどうか、考古学の専門的知識を持たないのだが、おそらくはどちらもあるのではないかと思う。信仰としての体系や形態は比較にならないとしても、同じ感覚に基づく信仰心が縄文時代から近世にまで貫かれているという事実にはちょっと感動する。

2.真田町小玉神社について

さすがに地元だけあり、上記の認識に則った上で、詳細に語られていた(私自身は、この神社、まだ訪問できていないのである)。
なによりも、引用されていた『長野県町村誌』(明治期の文献)の描写が衝撃的であった。

祭神、建御名方神。一巨石二つに割れ本社其中にあり。左に大藤一株、右に姫樫一株ありて社の上に覆う。又古松あり神殿の内に御魂代の小石長円数種あり。猶巨石側に多し。これ古墳上に祭る所ならん。割れ石を往古明神と称す。


古墳との見解はさておくとしても……磐座信仰、小玉という社名、諏訪神、本殿内に複数の石の御神体とくれば、これはもう、児玉石神社と同じ信仰、いや、同じ宮としか言いようがないではないか。
ちなみに、東信地方における児玉彦命の存在について一件だけ確認できているが、その件については今後の展開の中で触れていくことにする。
さらに、御神体を玉石状の河原石を敷き詰めた上に安置している例、古墳の石室の床にも同様の例が多々見られることを述べ、これも同根なのではないかと推測している。ならば……箱山氏はそこまで言っていないが、神社の境内に玉砂利を敷き詰めるのも、同様の信仰に立脚しているのではないだろうか。

3.その他の丸石・児玉石

この書の「千古の滝とまるい石」の項に列記してあったものを、さらに抄録させていただく。私にとっては、燦然と輝く素晴らしいデータであった。
ただし、私自身の見解として、関連の薄いと思われる件は省いてあることを断っておく。

以下は、『郷土』(石号)からの引用として紹介されている。早川孝太郎氏、及び橋浦泰雄氏による採録記事とのこと。

●雛祭りの箱の中に丸石を収めてあり、雛人形とともに雛段に並べる例を、早川氏(愛知県旧長篠村生まれ)の親戚宅、愛知県北設楽郡、信濃坂部村で確認。

●西薗目(これも北設楽郡)熊野神社、田峯観音の田楽で、祭の次第として役の者が河原に出て丸い小石を拾う。

●東薗目では、祭事にやはり河原石をたくさん拾い、袋に入れて神前に運ぶ。これにひとつひとつ藤蔓で作った輪を嵌め、氏子に分け与える。これは「トシダマ」と称して神棚に祀る。

●桧沢(不明)の山の神の祠の中に丸石。

●北設楽郡古戸の白山神社奥宮の祠には二寸五分ほどの石が40~50個祀ってあり、これを「玉」とか「ヒジリ様」とか言う。

ここまでリストアップしておきながら、天竜川と「水底照らす児玉石」の詞章による伝播という観点に至っていないのが残念だが、時代による研究の進み具合も関わっているため、仕方のないところだろう。
私自身、三信遠の芸能についてきっちり学ばなければ、もはやどうにもならないところまで来ているような気もする。

●長野県東筑摩郡生坂村、及び東川手村で、道祖神に丸石を数個供えてあるのが何箇所かで見られた。

●宇佐八幡の神体も丸石だという。これは、神功皇后が出征中、御子が生まれるのを遅らせるため股に挟んでいた「あれ」だとのこと。

●産児の祝膳に丸石を供え、その健全な育成を祈る風習がある。

●橋浦氏(鳥取県岩美郡出身)の実家には、一寸ばかりの黒光りする小石があった。いくつかに割れているため、これを網に入れ、綿の小布で幾重にも包み、二重の桐箱に納められていた。一族の婦人が出産間近になると、この石を煎じてその湯を飲んだ。「狸がくれた安産の石」との伝承があった。
(※児玉石との直接の関係はなさそうだが、生命と繁殖の石である)

以下は、箱山氏独自の記事。

●上田市の生塚神社の本殿には畳が敷いてあり、その上に小砂利が一面に敷き詰めてあり、そこに御神体が置かれている。現在の御神体は諏訪明神の神璽だが、その横に桐の箱に納められた七寸ばかりの丸石があり、そこに「寛文三癸卯九月日、健御名方命、諏訪大明神、児玉石、生塚村」と書かれている。

●生塚神社から遠くない新町神社でも、桐の箱に丸石を収めている。

●本原村荒井の鎮守、表木神社(※式内論社)も諏訪神を祀っており、本殿や丸石や折れた石棒数個が納められている。境内社にも、同様の例。(※当ブログで紹介した塩沢瀬神社の例と同じような形であろう)

●上田市の上塩尻神社の本殿内には、楕円形の自然石に「諏訪宮」と墨書。

●以下、本殿内に丸石を確認したとする神社を列挙。基本的にすべて諏訪社。
 上田市諏訪形:須波神社
 上田市神科地区:伊勢山神社(丸石11個)
 上田市神科地区:篠井神社
 上田市神科地区:岩戸神社
 殿城村矢沢赤坂:滝之宮神社
 真田町本原区:出速雄神社(現在は塩竈社になっているが……)
 真田町傍陽区:上洗馬神社(祭神:大巳貴)
 上田市海野町、原町:市神社

以下、民俗学的な丸石信仰の例をさらにいくつか挙げているが、今はここまでとしよう。
ただ、ひとつだけ印象的だった記事を挙げておく。
佐久に生まれた18世紀の国学者、瀬下敬忠の『千曲之真砂』に以下のようなフレーズがあるという。

千曲の流、さざれ石の中に陰陽石あり

ほとんどの諏訪人の与り知らぬところだが、北の諏訪信仰は、明らかに千曲川(~信濃川)に沿って展開しているのである。
児玉石信仰を追う者にとって、なんと本質的な一節であろうか。

諏訪神楽がそうであるように、児玉石信仰の本質は、諏訪ではほとんど失われてしまっている。この追跡行を続ける上で、三信遠とともに東信が極めて重要であるということを今回は思い知らされた。
おそらくは……箱山氏が追い切れていない佐久の地にも、ビビッドな指標が数多く残されているものと確信している。

*****

というわけで、七二会守田神社のレポートは次回に先送りである。
まあ年内には……いや、ちょっと難しいか……。

もうひとつ、つい先日、児玉石神社の宮司さんとありがたくも知遇を得ることができた。これはもう、疑いなく当ブログの今後の展開の上で大きな力となることは間違いないだろう。
具体的にもいろいろ企み中なのだが、とりあえず、以前の記事、磯並システムの祭神検証において重要な示唆となる材料をご教示いただいた。その件も今回一緒に扱おうと思っていたのだが、なんだか綺麗にまとまってしまったので、また別の機会とさせていただく。
その「材料」だけを先に記しておくと、八チマタ神は、少なくとも近現代において、上社系祭祀の中にちゃんと入り込んでいたのである。
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悠久石・夜泣き石など

直接の関係はないのですが。
熊本県球磨郡多良木(たらぎ)町では、2006年(平成18)に土砂崩れが起きたときに、崩れた土のなかから直径1.4mの真球に近い巨石が出現。
これを「悠久石」となづけて、近くの大師堂に安置しています。

町のHPでの紹介
http://www.town.taragi.lg.jp/q/aview/17/1905.html
ある人の訪問記
http://washimo-web.jp/Trip/Taraki/taraki.htm

あと丸い石といえば、静岡県・小夜の中山の「夜泣き石」というのもありましたな。
http://koizumiya.com/html/page3.html

同じく遠州には、地中から出たまゆ形の石をまつった「子生れ石」というものもあるらしい。
http://www.shimashin.co.jp/13town/meisho/sagara/koumare/koumare.htm

子安石、子宝石全般にまで話をひろげると、また別の系統の話題になるのでしょうが、静岡県の2例は、ともに遠州の話なので(天竜川流域ではなく、大井川に近い場所ですが)、こちらで語られている児玉石信仰と、なんらかの関連があるかもしれない、と想像したくなります。

毎度情報ありがとうございます

「児玉石」というタームと概念はおそらく諏訪発ですが、生命力の霊石というのは、もっと普遍的かつ広範かつより古い根を持つ信仰なのではないかと思っています。まあ……それが中央高地の縄文中期文化に端を発している、なんて話になると、また裏の裏みたいな話になって面白いんですけどね。

静岡県の二例は、完全にここで扱うべき範疇です。特に後者は、大井川上流の、例のマユめいた石を御神体とするコダマ石神社の信仰に直結しますね。児玉石にして蚕玉石、という。

いずれも非常に興味深かったです。
いつものことながら、ご教示、ご協力ありがとうございました。

ああそうだ、

悠久石のほうはアレですね、確かオルメカでしたか、こんなのがゴロゴロしてる遺跡があったような。
生成の秘密はさておき、そりゃあ信仰するよなあ。

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でも、興味の対象には嬉々として食いつきます。

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