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御子神十三柱の覚書 その7

守達神(前編)

まず、前説をさせていただく。
御子神十三柱シリーズについては、「池生神」がなお未完のままである。その状態で他の神を扱ってしまうのは忸怩たるものがあるのだが、しかし、現在継続中の「児玉石を巡る冒険」終盤において、本来であれば「池生神」の後編で語るべき事柄が主題となってくる。「児玉石を巡る冒険」に手を付けたことによって、とりあえず今後「児玉彦命編」が書かれることはなくなったわけだが、同じように、池生神の後編は書かれることがないかもしれない。ただ、まだアップしていない池生神社系列社の参拝レポートや、今後の新発見があれば、また別の項目を立てて扱うこともあろうかと思う。

では、本題!

守達神。
この神は、現在の諏訪大社オフィシャル十三柱には入っていない。いっぽうで、前宮若御子社の二十二柱には入っており、また、岡屋十五社、古田十五社の十三柱にも入っている。現状知り得ている十三柱バリエーションの中では、比較的出番の多い方だろう。
読み方ははっきりしていない。というのも、詳しくは後述するが、異称らしきものが多く、歴史的な混乱が感じられるのだ。
まあとりあえずは、「もりたつのかみ」で問題ないだろう。

この神を主祭神として祀る神社は、(おそらく)ただ一社のみ。
長野市七二会(なにあい)の「守田神社」である。
山間の高台に鎮座する古社で、大型の重厚な拝殿が印象的である。
祭神は、

正殿:守達神
左殿:大碓神、久延毘古神、事代主神
右殿:健御名方神、誉田別神、素盞鳴神

となっている。
基本的に出雲神が目立つ。事代主は諏訪系列社のレギュラーだが、しかし、久延毘古は非常に珍しい。
大碓、つまりヤマトタケルについては、信濃國も通過ルートである以上、それなりに祀られているほか、佐久あたりでは諏訪信仰との縁を感じさせる痕跡もちらほらと見出せる。
素盞鳴(スサノオ)については、天王社を合祀していることがはっきりしているので、これは牛頭天王で問題ないだろう。
誉田別については、いまさらなにも言う必要があるまい。

この神社には諏訪神社発行とされる独自の神系図が伝わっており、そこでは、諏訪御子神は十九柱とされている。
(宮坂喜十いうところの「御子は史書によって十三柱・十九柱・二十一柱などと諸説がある。」の、十九柱は発見できたわけだ)
この系図の内容については、また改めて紹介及び検討する項(「御子神十三柱の再確認」のつづき)を設けるつもりだが、とりあえず、これまでの検討から洩れている神はいないようだ。
しかし、表記や神名が微妙に異なっている点、リストの上位の顔ぶれがまったく違う点、そして、ある程度古いものと考え得る理由があることなど、非常に興味深い資料である(※有坂理紗子氏ご教示)。

さて次は、おなじみ、式内社だ国史見在社だといった國学院の講義めいた話になっていくわけなのだが……この神については、他に類を見ないほど事情が複雑である。

まず、延喜式神名帳には、「信濃國水内郡 守田神社」の名が記されている。論社は、七二会守田神社のほかに(とりあえず)二社。いずれも長野市内にある。

ひとつは、長沼穂保の守田神社。
清々しい場所に立地するが、さほど大きな神社ではない。祭神は、大碓命、大己貴命、大山咋命の三柱。守達神はいない。建御名方もいない。
いつも(一方的に)お世話になっている玄松子氏のページ(http://www.genbu.net/)に下記のような社伝が載せられていたので、申し訳なくも引用させていただく。

一説に、往古は、このあたり一体は湖であったといい、景行天皇の御宇、皇子の下向があり、溝を開き、水を治めて陸地にしたという。
後、守の君大田の君の子孫が居住し、その祖神を勧請して祀ったのが当社。
元は、守田島という場所に鎮座していたが元和元年(1615)、あるいは慶長二年(1597)に流失し当地へ遷座したという。


残念ながら、私はまだこの社伝を見つけていない(『平成祭礼データ』かなあ…)。
創建伝承にはヤマトタケルが関わっているようだが、国学ルネッサンス以前は日吉山王社だったということで(つまり、大山咋が主神の山の神。ちなみに、七二会守田神社は、多くの諏訪系列社同様に諏訪明神社であった)、諏訪系列社の痕跡が見られない。
ただ、「守の君」を守矢氏、「大田の君」を多氏と解釈するのは……いや! さすがに度を越した妄想というものであろう。
明治ではなく、それなりに古い時代(おそらくは移転前)に合祀合併があったのではないかと思わせる要素が多く、古層にまで手の届かないもどかしさを感じる。
いずれにしても、式内・守田神社の比定社としては弱いだろう。

いまひとつは、高田八幡沖の守田廼(もりたの)神社。
現在、長野市の市街地の中にあって、なかなかの威風を示している。
祭神は、誉田別命、建御名方命、保食神。
以前、どこかの神社の訪問記で「北信には三間社の本殿が多い」という感想を漏らしたことがあるが、実際、この地には三社に整えようとする風があったのかもしれない。であるならば、玉依比売命神社もその類例であろうか。
ちょっと変わった社名については、論社争いに敗れて「廼」の字をつけることを強いられたとのこと。かつて八幡社であったことがはっきりしていることから、論社としては確かにちょっと立場が弱い。
ただ、現在の本殿は、神仏分離で撤去された善光寺年神堂をそのまま移築したものである。この年神堂は『絵詞』において諏訪の分社であるとされ、謎の「水内神」や、建御名方富彦神別命、武居祝の支族との伝承を持つ秘密めいた一族による年越しの秘祭など、諏訪神社と善光寺との関係の深層に大きく関わっている重要な宮であった(関連して言うべきことが多々あるのだが、このテーマだけで余裕で20回シリーズくらいにはなってしまうので、今はこれ以上触れない)。ゆえに、中世以前はともかくとしても、近世において「諏訪信仰的方向」から重視されていた気配は十分に感じさせるのである。

三社とも水内にあって、特に守田廼神社は善光寺の諏訪信仰と関わりがあることからみても、もともとは同系列の神社だった可能性は十分にあるだろう。延喜の時代にどこが「本家」だったのかはなんともいえないが、二社において守達神の存在が忘れ去られてしまったのだとすれば(しかも一社は、今なお諏訪信仰との関係を保ち続けているにも関わらず、だ)、その起源は中世以前にまで遡ることができそうに思える。

というわけで、式内社の比定という点では一概に結論を出すことができないが、「諏訪御子神・守達神の宮はどれなのか?」という問題に限っては、議論の余地なく七二会守田神社で決まりである。祭神がそうなのだから仕方がない。もちろんそれだけではない強力な根拠が多々あるのだが、それは本項における今後の展開の中で自ずと明らかになっていくはずである。
早い話、児玉石シリーズにおいて検討材料として扱うのは七二会守田神社だけ、ということをここでは言っておきたいのである。

しかし……話がややこしいのはここからなのだ。
というところで、以下、次回。

(つづく)
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御子神十九柱としている書

こんにちは。

御子神の数を十九柱としてる書に出会いましたので、ご報告申し上げます。
守矢実久編『諏訪神社略縁起』(明治35年)
です。

以下は、国会図書館近代デジタルライブラリーにおける同書のURLです。
(表紙)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815696
(系図の記される21ページ目)
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815696/21
※ 書誌は右の青いボタンで見られます。

十九柱説は戦前はポピュラーだったようで
太田亮の『諏訪神社誌』(大正15年)も、御子神を十九柱としてました。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983470/32

ありがとうございます!

近代の文献はどうしても盲点になりがちですね。
お陰さまで、ずっと気になりながらも未チェックだった『諏訪神社略縁起』をようやく目にすることができました。
ここに十九柱の原点が……。
確かに守田神社の系図に非常によく似ています。それでも、細部の違いはありますが。

しかし、明治末では説得力弱いですよねえ。実久さんは「口伝」と言われる守矢家の秘奥をたくさん書き記して残してくれたありがたいお方です。ただ、すべてが口伝だったとの伝承はとても信じられず、実際に室町の文献があるわけですから、どこまで遡って根拠を追えるのか、引き続きがんばってみたいと思います。

貴重な情報をありがとうございました!
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でも、興味の対象には嬉々として食いつきます。

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